ブエノスアイレス近郊の田舎町|日帰りで行ける場所

目次
- 旅の前提: 地方の町の歩き方
- ルハン: アルゼンチン最大の巡礼地 (市内から68km)
- ルハンってどこ?
- ルハンの見所
- ルハン動物園
- Basílica de Nuestra Señora de Lujan(ルハン大聖堂)
- 音楽フェスティバルとフォルクローレ
- ルハン大聖堂十字架落下の謎!?
- ルハンの聖母と、ブエノスアイレスから歩く巡礼
- カルロス・カサーレス: カンポの中の音楽の町 (市内から312km)
- カルロス・カサーレスどんなところ?
- カルロス・カサーレスでリハーサル
- ラ・プラタ: 1882年に線を引いて作った州都
- ティグレ: パラナ・デルタの水の町
- 泊まりがけで行く町: マル・デル・プラタとタンディル
- 近郊の町を歩く
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- 旅の全体計画はこちら
ブエノスアイレスの魅力は都会だけではありません。市街を1時間も走れば、地平線まで続くカンポ (草原と田畑) の世界が始まります。この記事は、当サイトの田舎町レポート2本 (ルハン・カルロス・カサーレス) を統合した近郊旅ガイドです。私たちはタンゴの演奏の仕事で地方の町を回っており、これはその実地の記録です。
旅の前提: 地方の町の歩き方
- 移動は車か長距離バスです。国道は整備されており、制限速度80kmでカンポの中をまっすぐ走ります
- 町の中心は必ず「広場+教会」のセットです。迷ったらこれを目印にしてください
- 昼下がり (シエスタの時間帯) は驚くほど人が消えます。店も閉まるため、行動は午前と夕方に寄せるのがコツです
ルハン: アルゼンチン最大の巡礼地 (市内から68km)
ルハンってどこ?
アルゼンチンの田舎町「ルハン」というところへ行ってきました。
ルハンはアルゼンチンのブエノスアイレス州にある都市で、ブエノスアイレス市から北西68キロに位置しています。
高速道路を使って、車やバスなら、約1時間から1時間半くらいで到着!
ルハンの見所
この田舎町ルハンは隠れたアルゼンチンの観光名所。
1560年に建設され、毎年何百万人というアルゼンチン人が訪れます。
目的は後ほど紹介しますルハン大聖堂。
ここにはアルゼンチンの守護聖人といわれるサンタ・マリア・デ・ルハン(Santa Maria De Lujan)が祀られています。
実はルハンは、アルゼンチンの田舎町を満喫するブエノスアイレスから少し離れた観光地として有名なんです。
ルハン動物園
動物たち(肉食動物たちも)と触れ合えるということが有名な動物園ですが、2020年のパンデミック
の影響で、経営持続が困難になり、閉園されていました。
現在も閉鎖中で、ホームページには、この表示が。
2020、21年のパンデミックの影響で、経営が難しくなり、あなたの助けをいつでも待っています。
Lujan (ルハン)動物園ホームページより
Basílica de Nuestra Señora de Lujan(ルハン大聖堂)
ブエノスアイレスから車で高速道路を走っていくと、ルハンの地区に入った頃に、左手に大きな教会が見えてきます。
ルハン大聖堂!
アルゼンチンがキリスト教が盛んですが、最も重要な聖地とされており、毎年ここルハンまで多くの人が巡礼に訪れます。
この地に小さな礼拝堂が建てられたのは、1685年。
入植後かなり早い段階で聖地を意識されたことがわかりますよね。
そのあとどんどん規模が大きくなり、この立派な大聖堂と完成したのは1935年。
なんと300年もの歴史を得て完成しました。
全体の様子と中の様子を少しだけ映像にしていますので、見てね!
音楽フェスティバルとフォルクローレ
さてさて、今回の本当の目的はルハンで行われた、音楽フェスティバルにタンゴを演奏しに行ったので、その様子をご紹介します!
広場では、フォルクローレを踊る親子。
お店の人も音楽を聞いたら体が動いて、踊りの輪に!
日本で言うところの盆踊りのような感覚かな?!
こうしてみるとタンゴの足のステップの雰囲気も感じられ、なるほどタンゴはアルゼンチンでできたんだな〜と改めて実感しますよね。
冒頭のリズムはフォルクローレの中でもチャカレラというリズム。
チャカレラの解説から〜
ルハン大聖堂十字架落下の謎!?
実はここのルハン大聖堂で、 2000年に不可解な出来事が起こっていたのです!
まずは、この写真をよおおおおおく見てみてください。 特に、一番上に掲げられている、十字架。
二つの塔にそれぞれ一つづつ、十字架が掲げられています。
でも、よくみて下さい。
真ん中の色が違うではありませんか?? 左が白で、右が黒。
そうです!! これは、かの有名な、2000年に起きた、 不可解な「十字架落下事件」の結果なのです。
2000年6月15日に左の塔の十字架が、地上106メートルから落下、 そして付け替えられています。
重さ1500キロ。
実は、この十字架は、それまでの風や、保存状態の悪さによって、 錆が確認されていたのです。
数日前の嵐によっても、さらに悪化が確認されていました。
取り替えの依頼も出ており、落下の危険性が認められていたため、 落下日から2日前より実は教会は閉鎖されていました。
いつ落ちても良い状態だったんですね・・・
とはいえ、不幸中の幸い・・・
落下したのは夜の11時頃。 人通りもなく、朝や午後だったら、通りがかりの人を傷つけたり、 死者が出ていたかもしれません。
また、十字架が反対側に落ちていたら、教会の屋根や、スタンドガラス、窓を破壊していたことでしょう・・・。
またさらに人々を驚かせたことは、 切断部分も綺麗で、教会の他のどこも傷付けず落下。 ポン。っと地面に十字架を手で置いたかのような綺麗な状態だったといいます。
その落下状態を見た近隣の人たちは、 夜に響き渡るすごい音を聞いたにも関わらず、 この綺麗な落下状態が信じられなったそうです。
その後、この十字架取り付け工事は、
当初「年末まで(約半年)には終わるだろう」とされていたのですが、
結局完成したのは、5年後。
1905日間、このルハン大聖堂は、左の十字架無しでした。
それにしても、人的な被害が出なかったものの、 1500キロのものがあれだけの高さから落下するのは、 本当に怖い。
右の十字架が補修されているのか、情報はまだ手に入っていませんが、 されていることを願います。
ルハンの聖母と、ブエノスアイレスから歩く巡礼
ルハン大聖堂に祀られているルハンの聖母 (Nuestra Señora de Luján) は、1930年にローマ教皇ピウス11世によってアルゼンチンの守護聖母と定められました。そして毎年10月の最初の週末には、ブエノスアイレス市内からルハンまで約60kmを夜通し歩く「若者のルハン巡礼 (Peregrinación Juvenil a Luján)」が行われます。
聖母の由来は1630年にさかのぼります。言い伝えでは、ブラジルから届いた聖母の像を牛車で内陸へ運ぶ途中、ルハン川のほとりで牛が動かなくなり、像を収めた箱を一つ降ろすと再び歩き出しました。これを聖母がこの地に留まりたいという意思と受け止め、そこに祠が作られたのが聖地の始まりとされます。像は1887年に教皇レオ13世のもとで戴冠を受け、1930年9月8日、ピウス11世がアルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイの守護聖母と宣言しました。
巡礼は1975年に始まり、2025年で51回目を数えました。出発点は市の西の端、リニエルス地区のサン・カジェタノ聖堂 (Santuario de San Cayetano) で、土曜の朝に歩き出し、モロン、メルロ、モレノ、ヘネラル・ロドリゲスの町を抜けて国道7号線に合流し、日曜の早朝に大聖堂前のミサへ着きます。歩き通すと12時間から15時間ほどかかり、報道では毎年100万人規模の参加が見込まれています。ルハンが「信仰の都」と呼ばれる理由が、この行事によく表れています。
カルロス・カサーレス: カンポの中の音楽の町 (市内から312km)
ブエノスアイレス州の郊外、Carlos Casares (カルロス・カサーレス)に行ってきました!
カルロスカサーレスへは、ブエノスアイレス市内から、西部へ移動します。
ルハンを超えて、そのまま国道5号線に沿って走り、合計で約312km。
約4時間の車移動。
街と街をつなぐ国道は、整備されていて走りやすいですが、
景色は、ほとんどずっと、カンポ(田舎の草原、田畑)が広がっています。
壮大な景色の中に、時々牛さんの群れがあわれます。(後ほど市内の映像と一緒に紹介しますね!)
牛さんたちが草を頬張っているの、見つけられましたか??
制限速度80キロ。
ブエノスアイレスから312キロ先のカルロス・カサーレスに行くための通行料は、普通車で500ペソ(ブルーレート換算で250円)ほどです。
物価の値上がりが激しいとは言え、交通費はまだまだ日本に比べると、安いですね。
カルロス・カサーレスどんなところ?
カルロス・カサーレス市内はこんな感じです。
土曜日の午後、お昼寝タイムに到着したとはいえ、街に人が少なすぎる印象がありました。
とても落ち着いた住宅街。
街の中心地には、公園と教会があります。
どうやは、この「公園」+「教会」というセットは、
各街の中心地を示すシンボルと言えます。
アルゼンチンで、地方へ行く際に、もし迷ったら、「公園」+「教会」を目印にしてみましょう!
【カルロス・カサーレス豆情報】 1907年1月8日設立 人口:22000人
Wikipediaより
カルロス・カサーレスでリハーサル
さて、この日は、タンゴのコンサート目的でカルロス・カサーレスに行きました。
道に人がいなかったのに、夜は、一つの会場に、400人ほどの人が集まる大イベント。
あるんです。
しかも、400人以上確実に入ります。
綺麗なガラス張りの、スペース!
リハーサル風景はこんな感じ!
夜の本番は撮れませんでしたが、会場満席になって、賑わっていました。
ただしかし、このガラス張りは、冬は寒い!!
ひんやりしすぎでした。
夜のお疲れ様会は、大草原の間にある土地自慢のお肉!
ありがたくいただきました。
ラ・プラタ: 1882年に線を引いて作った州都
ラ・プラタ (La Plata) はブエノスアイレス州の州都で、1882年11月19日に何もない土地へ一から計画して建てられた町です。碁盤の目に斜めの大通り (ディアゴナル) を重ねた街路と、名前ではなく番号で呼ばれる通りが、この町の最大の特徴です。
生まれた理由は政治にあります。1880年にブエノスアイレス市が国の首都として州から切り離されたため、州は新しい州都を必要としました。州知事ダルド・ロチャ (Dardo Rocha) がラ・プラタ川に近いエンセナダの丘を選び、州の技師団 (設計の中心はペドロ・ベノワとされます) が街区を引きました。6ブロックごとに広場を置き、そこを対角線の大通りが結ぶ形で、「ディアゴナルの町」とも呼ばれます。通りは1番、7番、50番というように番号で数えるため、初めてでも地図と照らしやすい町です。
見どころの筆頭はラ・プラタ博物館 (Museo de La Plata) です。探検家フランシスコ・P・モレノが自分の収集品を寄贈して生まれた自然史と人類学の博物館で、町の創設からちょうど6年後の1888年11月19日に開館しました。進化の順に展示を巡れるよう楕円形に設計された建物は、いまも国立ラ・プラタ大学の自然科学部の一部として使われています。大学の町でもあり、学生の多さもこの町の顔です。
ティグレ: パラナ・デルタの水の町
ティグレ (Tigre) は、パラナ川がラ・プラタ川へ注ぐ手前に作る巨大なデルタの入口にある町です。オベリスコから約33kmで、レティーロ駅から近郊電車のミトレ線で行けるため、半日でも往復できる水辺の旅先です。
デルタの広さは資料によって約1万4,000から1万9,000平方キロメートルと幅がありますが、いずれにしても数百の川と水路が島々を分ける水の迷路です。島で暮らす人々は、道路の代わりにランチャ・コレクティーバ (lancha colectiva) と呼ばれる乗合の船で買い物や学校や病院へ通います。この船の多くと観光の遊覧船は、駅の近くの河港 (Estación Fluvial) から出ます。
町の側では、島の果物を荷揚げしていた港を市場に変えたプエルト・デ・フルトス (Puerto de Frutos) で、葦の細工や家具や植物が売られています。川沿いの遊歩道パセオ・ビクトリカの先には、ベル・エポックの社交クラブだった建物を使うティグレ美術館 (Museo de Arte Tigre) が建っています。帰りの船の最終便の時刻は、乗る前に確かめてください。
泊まりがけで行く町: マル・デル・プラタとタンディル
マル・デル・プラタ (Mar del Plata) は、大西洋に面したアルゼンチン最大の海辺のリゾートです。ブエノスアイレスから道路で南へ400kmあまりあり、日帰りよりも泊まりがけの旅先になります。
町としての始まりは1874年2月10日で、地主のパトリシオ・ペラルタ・ラモスの求めで「マル・デル・プラタ」と名付けられました。1886年に鉄道が通じ、1888年に大きなホテルが開くと、夏の避暑地として発展します。2022年の国勢調査で人口は68万人あまり、国で5番目の都市で、漁港としても国の主要な港の一つです。港の一角には国内で最も北にあるオタリア (南米のアシカの仲間) の群れが暮らし、海辺の遊歩道 (ランブラ) に置かれたオタリアの像は町の象徴になっています。タンゴの作曲家アストル・ピアソラもこの町の生まれです (アストル・ピアソラ)。
タンディル (Tandil) は、パンパの平原の中に低い山並みが現れる町で、ブエノスアイレスから道路で約350kmです。有名なのは、岩山の縁に傾いて立ちながら落ちなかった「動く石 (Piedra Movediza)」で、1912年2月29日に転がり落ちて割れました。2007年5月、同じ場所に複製が据え付けられ、いまはこれが町の目印になっています。
ブエノスアイレスから日帰りで行ける田舎町はありますか
北西68kmのルハンが定番です。車かバスで1時間強、アルゼンチン最大の巡礼地ルハン大聖堂があります。より深くカンポ (大草原) を感じたいなら、ティグレのデルタ地帯や、宿泊前提でさらに遠くの町も選択肢になります。
ルハン大聖堂とは何ですか
アルゼンチンの守護聖人サンタ・マリア・デ・ルハンを祀る、国内で最も重要なカトリックの聖地です。1685年の礼拝堂から300年かけて1935年に現在の大聖堂が完成し、毎年数百万人が巡礼に訪れます。
アルゼンチンの地方の町はどんな雰囲気ですか
広場と教会を中心にした穏やかな住宅街で、昼は人が少なくシエスタの文化が生きています。一方で夜には数百人規模のコンサートが満席になるなど、文化への熱量は都会に劣りません。
近郊の町を歩く
地図で見る動くバス・地下鉄・治安・見どころを1枚で。入れるものは要りません
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