アディオス・ノニーノとは|意味・ピアソラが父に捧げた背景・オランダ王室の涙・名演の聴き比べ
アディオス・ノニーノとは|父に捧げたタンゴと、生まれた夜の物語
アディオス・ノニーノ (Adiós Nonino) は、アストル・ピアソラが1959年に書いた、父への追悼の曲です。ピアソラ自身が生涯で最も大切にした自作であり、「二度とこれ以上の曲は書けない」と語ったと伝えられています。
曲名の意味
ノニーノ (Nonino) は、イタリア系アルゼンチン人の家庭で「おじいちゃん」を意味する愛称です。ピアソラ家では、アストルの父ビセンテがこの愛称で呼ばれていました。つまり曲名は「さようなら、ノニーノ」。息子から父への、そのままの別れの言葉です。
生まれた夜: 1959年、旅先に届いた訃報
1959年10月、中米を巡業中だったピアソラのもとに、父ビセンテが自転車の事故がもとで亡くなったという知らせが届きます。すぐに帰国することもできない旅の空でした。
ニューヨークの自宅に戻ったピアソラは、家族に一人にしてくれと告げて部屋にこもり、バンドネオンでこの曲を書き上げます。数年前に書いていた陽気な小品「ノニーノ」の主題を、深い悲しみの歌に作り替えたものでした。息子のダニエルが後年、「あの夜、父の部屋から聴こえてきた音楽を忘れられない」と証言しています。
ピアソラの生涯全体は 評伝 に、彼が育ったマル・デル・プラタの場所は ヒストリーマップ にあります。
オランダ王室の結婚式と、マキシマ妃の涙
2002年、オランダのウィレム=アレクサンダー皇太子 (現国王) とアルゼンチン出身のマキシマ妃の結婚式で、この曲がバンドネオンで演奏されました。祖国を離れて嫁ぐ花嫁が、父を、故郷を思って涙をぬぐう姿は世界中に中継され、アディオス・ノニーノは「アルゼンチンの魂の曲」として改めて世界に記憶されました。
タンゴが国境を越えて人の感情を運ぶ音楽であることを、これほど雄弁に示した場面はありません。
名演の聴き比べ
ピアソラは生涯にわたってこの曲を演奏し続け、時期によって姿が大きく違います。
- 1960年代の五重奏団版: 悲しみがまだ生々しい、鋭い演奏です
- 1969年以降の、長いピアノ独奏で始まる版: 最も有名な形です。ピアノの即興的な序奏から、バンドネオンが歌い出す瞬間のために全てがあります
- 晩年のライブ録音: 父への追悼が、人生全体への追悼に変わっていくような深さがあります
ピアソラ以外では、バンドネオン独奏、チェロ、オーケストラ編曲まで無数の録音があります。まず本人の演奏から入るのが確実です。
よくある質問
アディオス・ノニーノとはどういう意味ですか
「さようなら、ノニーノ」という意味です。ノニーノはイタリア系の家庭で「おじいちゃん」を指す愛称で、ピアソラ家では父ビセンテの愛称でした。父の死の知らせを受けて書かれた追悼の曲です。
アディオス・ノニーノはいつ作られましたか
1959年10月です。中米巡業中に父の訃報を受けたピアソラが、ニューヨークの自宅で書き上げました。1954年に書いていた「ノニーノ」という曲の主題が土台になっています。
オランダ王室の結婚式で演奏されたのは本当ですか
本当です。2002年、ウィレム=アレクサンダー皇太子とアルゼンチン出身のマキシマ妃の結婚式でバンドネオンにより演奏され、涙をぬぐうマキシマ妃の姿とともに世界に知られました。
まずどの演奏から聴けばよいですか
ピアソラ本人の、ピアノの長い序奏で始まる版が最も有名です。1969年以降の録音やライブ盤で聴けます。