アルゼンチン史:小学生でもわかる建国から現代までの歴史ガイド

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この記事ではなかなか調べてもつかみどころのわからないアルゼンチンの歴史を、小学生でもわかるように、超簡単にわかりやすく解説したものです。
時系列で追ってみていきましょう。

アルゼンチンの歴史は政治思想によって、敵か味方か、視点が変わってきたりします。

なので、学術的な解説記事などは、解説が難しかったりします。

当記事でもできるだけ偏らないように配慮しながら進めていきますので、思想によって変わるという点に注意して進めていってください。

I. アルゼンチンの建国と独立

アルゼンチンの建国と独立の過程は、スペインの植民地支配下で始まります。

16世紀から18世紀初頭まで、この地域はスペインの植民地として支配され、スペインの統治と文化が広まっていました。

しかし、スペイン本国でのナポレオンの侵攻により、スペイン帝国は混乱に陥り、アルゼンチンでもその影響が広がりました。

この混乱の中で、アルゼンチンの指導者たちはスペインからの独立を宣言する動きを始めました。

1810年の「5月革命」は、アルゼンチンの独立運動の転機となりました。

この出来事はブエノスアイレスで起こり、スペインの代理人を排除し、アルゼンチンの自治を求める動きとして始まりました。

翌年の1811年、アルゼンチンは初めての独立政府を樹立しました。

その後も、独立への道は困難であり、スペインとの対立が続きました。そして、1816年7月9日にタクマンの議会で独立が正式に宣言されました。

このようにして、アルゼンチンはスペインからの独立を勝ち取り、国家としての独立が確立されました。

これはアルゼンチンの建国と独立の歴史的な出来事の一部です。

じゃあなんでそもそもスペインに支配されていたのか?!

ここが知りたくてこの記事に辿り着いたかたも多いはず。

アルゼンチン建国より前の歴史はこちらの記事で解説しています!

では、もっと古く・・・

そもそも南米人とは?について、当サイトでは詳しく調べてみました。

興味のある方はこちらもご覧ください。

II. アルゼンチンの19世紀の歴史

19世紀のアルゼンチンは、多くの政治的な混乱や内乱が特徴的な時期でした。

独立後、アルゼンチンは政治的に不安定な状況にあり、様々な派閥や指導者たちの間で争いが続きました。

1820年代から1850年代まで、アルゼンチンは内戦や地域間の対立に見舞われていました。

この時期には、さまざまな指導者や軍人が登場し、政治の混乱を招きました。

特に、「カウディーリョス」と呼ばれる地方の指導者たちが力を持ち、地域ごとに独自の政治統治を行っていました。

また、アルゼンチンは他の国々との関係も築こうとしました。

この時期、アルゼンチンは他のラテンアメリカ諸国と同様に、ヨーロッパ諸国との関係を築き、国際的な立場を模索していました。

19世紀半ばから後半にかけて、アルゼンチンは政治的安定を求めていました。

この時期、経済的な発展とともに、政府の再編や外国との関係強化が進みました。

そして、内乱が終わり、アルゼンチンは次第に統一された国家として発展していきました。

19世紀のアルゼンチンは、政治的な不安定さや内戦、外交政策の模索などが特徴的であり、国家としての形成を進める過程でさまざまな挑戦に直面していました。

III. 20世紀初頭から中盤の歴史的出来事

20世紀初頭から中盤にかけてのアルゼンチンは、様々な歴史的出来事が展開しました。

第一次世界大戦やその後の時期、アルゼンチンは大きな変化や挑戦に直面していました。

第一次世界大戦中、アルゼンチンは中立を宣言しましたが、戦争が世界中で続く中、経済的な影響を受けました。

アルゼンチンの経済は輸出依存型であり、農産物や家畜の輸出が主要な収入源でした。

戦争による需要の低下や国際的な経済混乱が、アルゼンチンの経済に影響を及ぼしました。

1920年代から1930年代にかけて、アルゼンチンは経済的な成長を遂げましたが、その後世界恐慌が到来し、経済は大きな打撃を受けました。

この時期、政治的な不安定さや経済の混乱が続き、軍事クーデターや政治的な変化が頻繁に起こりました。

また、第二次世界大戦中には、アルゼンチンは再び中立を宣言しましたが、国内では対独親衛隊などのナチスの支持者も存在していました。

この時期、国内での政治的な議論や混乱が続きました。

20世紀初頭から中盤にかけてのアルゼンチンは、経済的な変化や世界の政治情勢の影響を受けながら、政治的な不安定さや経済の波乱に直面しました。これらの出来事は、国の歴史の中で重要な時期でした。

IV. ペロン政権とその影響

ペロン政権はアルゼンチンの歴史において極めて重要な時期でした。

ペロン政権は、1946年から1955年にかけて、フアン・ペロンとその妻であり後に大統領となるエヴァ・ペロンによって指導されました。

この政権下では、労働者階級への支援や社会的な変革が進められ、ペロン政権はペロニズムと呼ばれる運動を展開しました。

ペロニズムは、労働者の権利や社会政策の強化を支持し、労働組合の発展や労働者の権利を強化するための政策を実施しました。

この政権下では、労働者に対する給与の改善、労働条件の改革、労働組合の権利の拡大などが実現され、社会的な平等や福祉の向上を目指しました。また、ペロン政権は教育や健康制度の改善、公共事業の拡大なども行いました。

また、エヴァ・ペロンは貧困層への支援や女性の権利向上など、様々な社会政策に取り組み、彼女の活動は国内外で称賛されました。

ペロン政権は労働者階級や社会的に弱い立場にある人々に対する支援を重視し、労働者の権利向上や社会政策の実施を行いました。

その影響は現代のアルゼンチン社会にも見られ、政治と社会において重要な役割を果たしました。

V. 現代のアルゼンチン

経済と問題

アルゼンチンの経済は時折不安定で、インフレーションや経済の変動があります。長期にわたる財政問題や債務危機が、経済に影響を与えています。また、経済の不均衡や貧富の格差も課題です。

政治的状況

政治的にも挑戦があり、過去の対立や政治的分断が影響を及ぼしています。政治決定への異論や様々な政治派閥の存在が、政策形成に影響を及ぼしています。

文化の多様性

アルゼンチンの文化は多様で豊かです。文学、音楽、ダンス、料理など、多くの文化的要素が存在し、世界的にも高い評価を得ています。また、移民の影響により、多様性が国の文化を豊かにしています。

社会的課題

社会問題として、格差や貧困、教育や医療のアクセスの不均等性が挙げられます。これらの問題は、社会の健全な発展に向けて改善が求められています。

環境への取り組み

アルゼンチンの環境は美しい自然が広がる一方で、気候変動や環境問題への対応が求められています。森林保護や持続可能な開発への取り組みが進められています。

音楽・芸術など文化面の歴史

アルゼンチンといえばタンゴやフォルクローレなどの音楽、ダンス文化に加えて、ピザやアサードなどの食文化が花開いた場所。

これらももちろんスペインの侵略の歴史と移民たちが関わっています。

フォルクローレの歴史についてはこちらの記事を参照してください。

タンゴなども、アフリカの音楽やスペインの音楽など様々な文化がミックスしてできた不思議な音楽。

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