アルゼンチン移民史|イタリア系が多い理由・日本人移民がなぜ渡ったか・タンゴを生んだ港
アルゼンチン移民史
「アルゼンチン人はどこから来たのか。船から来た」。アルゼンチンでよく引かれる言い回しです。19世紀末から20世紀前半、この国は世界で最も多くの移民を受け入れた国のひとつでした。1880年から1930年までの半世紀で、ヨーロッパから約600万人が大西洋を渡っています。
現在のアルゼンチンの人口構成、食文化、話し言葉、そして タンゴ まで、この国の骨格はほぼすべて移民史の産物です。この記事では、なぜ移民の国になったのか、イタリア系が多い理由、そして日本人移民の歩みを解説します。
なぜ移民の国になったのか
独立後のアルゼンチンが抱えていた問題は、広大な国土に対する圧倒的な人口不足でした。思想家アルベルディの「統治とは人を住まわせることである」という言葉が国の方針になり、1853年憲法はヨーロッパ移民の奨励を憲法条文に書き込みます。今も憲法に残る条文です。
パンパの農業と牧畜が輸出産業として花開くと、労働力を求める新大陸と、貧困と人口過剰に苦しむ南欧の利害が一致しました。イタリア南部やスペインのガリシア地方から、船倉に詰め込まれた人々が次々にブエノスアイレス港に到着します。20世紀初頭のブエノスアイレスは、住民の半分が外国生まれという世界でも例のない都市になりました。
イタリア系が多い理由
移民の最大グループはイタリア人で約300万人、次がスペイン人で約200万人でした。現在、アルゼンチン人の6割以上がイタリア系の血を引くとされます。
イタリアからの移民が突出した理由は、当時のイタリア側にあります。統一直後のイタリア、特に南部は深刻な貧困と土地不足を抱えており、同じラテン系でカトリックのアルゼンチンは、言葉も宗教も近い移住先でした。大西洋を毎年往復して収穫期だけ働く「ツバメ」と呼ばれた季節労働者もいたほどです。
イタリアの影響は、今日のアルゼンチンの至る所にあります。
- 言葉: ブエノスアイレスのスペイン語の抑揚はイタリア語のように歌い、俗語 ルンファルド にはイタリア語起源の単語が数え切れないほど入っています
- 食: ピザ、パスタ、ミラネサ、ジェラート。アルゼンチンの国民食の半分はイタリア移民の持ち込みです
- 姓: 大統領経験者にもイタリア系の姓が並びます
移民ホテルとラ・ボカ: 移民たちの上陸後
ブエノスアイレス港に着いた移民は、国営の「移民ホテル」に無料で滞在し、仕事を探しました。現在この建物は移民博物館として公開されており、到着者の名簿で先祖を検索できます。
定住した移民たちが集まったのが、港に近い ラ・ボカ地区 や、コンベンティージョと呼ばれる集合住宅です。一つの中庭を何家族もが囲む住まいで、イタリア語、スペイン語、ポーランド語、イディッシュ語が飛び交いました。船の残り塗料で壁を塗り分けたラ・ボカのカラフルな家並みは、移民の暮らしの名残です。
この移民たちの港町から生まれたのがタンゴです。故郷を失った男たちの音楽に、イタリアのカンツォーネの歌心と、ドイツ生まれの楽器 バンドネオン が合流しました。タンゴ誕生の物語は タンゴとは で詳しく解説しています。
日本人移民: なぜ渡り、何をして生きたか
アルゼンチンへの日本人移民は、ブラジルやペルーへの集団農業移民とは違う道をたどりました。
始まりは20世紀初頭、ペルーやブラジルへ渡った移民の一部が、より条件の良い暮らしを求めてアルゼンチンへ再移住したことです。契約農業に縛られなかった日本人たちは都市に定着し、やがて特定の職業で驚くべき成功を収めます。クリーニング業 (ティントレリア) と花卉栽培です。最盛期のブエノスアイレスでは、街のクリーニング店のかなりの部分を日系人が営み、「ティントレリア」と「日本人」がほとんど同義語になった時期もありました。沖縄県出身者が日系社会の多数を占めるのも、アルゼンチン日系社会の特徴です。
現在の日系人は約6万5千人と推計されます。ブエノスアイレスの日本庭園は南米最大級の日本庭園として市民に愛されており、日系社会の存在感を象徴する場所になっています。近年はテレビ番組でアルゼンチンの日本人移民が取り上げられ、「なぜアルゼンチンに日本人が」という関心が改めて高まっています。
現代のアルゼンチン移住については、実体験に基づく アルゼンチン移住ガイド があります。
そのほかの移民たち
- ウェールズ人: 1865年、言語と文化を守るためにパタゴニアへ入植しました。チュブ州のガイマンには今もウェールズ語の看板とティーハウスが残ります
- ユダヤ人: 東欧の迫害を逃れた人々が19世紀末から渡り、ブエノスアイレスは南米最大のユダヤ人コミュニティを持つ街になりました
- 中東からの移民: シリア・レバノン系は「トルコ人 (トゥルコス)」と呼ばれ、行商から身を起こしました。メネム元大統領はシリア系です
- 近隣諸国から: 現代の移民はボリビア、パラグアイ、ペルー、ベネズエラなど南米内からが中心です
移民の時代の全体像は アルゼンチンの歴史 で通史として読めます。
よくある質問
アルゼンチンはなぜ移民が多いのですか
独立後の人口不足を補うため、1853年憲法でヨーロッパ移民の奨励を国是としたためです。1880年から1930年の半世紀で約600万人がヨーロッパから渡り、20世紀初頭のブエノスアイレスは住民の半分が外国生まれでした。
アルゼンチンにイタリア系が多いのはなぜですか
移民の最大グループが約300万人のイタリア人だったためです。当時のイタリア南部の貧困と、言葉も宗教も近いアルゼンチンの好景気が重なりました。現在は人口の6割以上がイタリア系とされ、言葉や食文化に強い影響が残っています。
日本人はなぜアルゼンチンに移民したのですか
20世紀初頭にペルーやブラジルへ渡った移民の一部が、より良い暮らしを求めて再移住したのが始まりです。都市でクリーニング業や花卉栽培に活路を見出し、成功を収めました。沖縄県出身者が多いのが特徴です。
アルゼンチンに日系人はどのくらいいますか
約6万5千人と推計されています。ブエノスアイレスの日本庭園は南米最大級で、日系社会の象徴的な場所になっています。
移民とタンゴにはどんな関係がありますか
タンゴは19世紀末のブエノスアイレスの移民街で生まれた音楽です。故郷を離れた移民たちの郷愁に、イタリアの歌心とドイツ生まれの楽器バンドネオンが合流して形になりました。