アルゼンチンの祭り|サン・バルタサル祭と黒い聖人

目次
映像資料は最後に!
南米アルゼンチンの豊かな文化は、多様な民族と歴史が交差する地点に位置しています。
特に、コリエンテス州で毎年行われる「サン・バルタサル祭」は、その文化の豊かさを象徴するイベントの一つです。
この祭りは、アルゼンチンのアフリカ系コミュニティにとって重要な意味を持ち、カラフルな衣装、伝統的な音楽、踊りを通じて、その文化的遺産を祝い、伝えています。
サン・バルタサル祭は、アルゼンチンの多様性とアフリカ系文化の重要性を世界に示す絶好の機会です。
今年30周年を迎えたこのお祭り。 なんと今回実際に祭に参加し、中心の中心まで潜入取材することに成功しましたので、祭り全体の様子を実際に体験してください。
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サン・バルタサル祭の歴史と起源
サン・バルタサル祭は、アルゼンチンのコリエンテス州で深い歴史を持つ重要な祭りです。
この祭りは、アフリカからの奴隷貿易に端を発し、アフリカ系アルゼンチン人の文化と信仰の中心となりました。
サン・バルタサル、または黒人の王として知られるこの聖人は、アフリカ系コミュニティによって特別な尊敬を受けています。
この祭りは、アルゼンチンのアフリカ系コミュニティの精神的な結束を象徴し、彼らの文化的アイデンティティを強化する役割を果たしています。
サン・バルタサルは、三賢者の一人としても知られており、毎年1月6日にキリスト教の祝日である公現祭(エピファニー)として祝われます。
今回青いタンゴ礁が取材した映像は、この祭りの本質と魅力を捉える貴重な機会となりました。
色鮮やかな衣装、伝統的な音楽、そして情熱的なダンスを通じて、アフリカ系アルゼンチン人の文化遺産が生き生きと表現されています。
これらの映像は、祭りの真の姿を伝え、その文化的重要性をより深く理解する手助けとなるでしょう。
サン・バルタサルの人物像と年表
ここでサン・バルタサル、または黒人の王として知られるこの人物について知っておきましょう。
キリスト教の伝統において、東方の三賢者の一人として広く認識されています。
彼は、キリストの生誕を祝うために、遠く東方から贈り物を持って来たとされています。
この三賢者の中で、サン・バルタサルはしばしばアフリカの王として描かれ、そのためにアフリカ系のコミュニティにとって特別な意味を持っています。
東方の三賢者として知られるこれらの人物は、新約聖書の物語に登場し、イエス・キリストの誕生を祝うために遠方からやって来たとされています。 彼らは、それぞれ異なる贈り物を持ってきたとされ、キリスト教の伝統の中で特に重要な役割を果たしています。 三賢者の名前は次の通りです。
- カスパー: 彼はしばしば若い男性として描かれ、金を贈り物として持ってきたとされています。金は、イエス・キリストの王としての地位を象徴するものです。
- メルキオール: 通常は中年の男性として描かれ、乳香を贈り物として持ってきました。乳香は、イエスの神性と祭司としての役割を象徴しています。
- バルタサル: しばしば黒人の王として描かれ、没薬を贈り物として持ってきたとされています。没薬は、キリストの苦しみと死を予兆するものと考えられています。
サン・バルタザールの歴史年表
- 1世紀はサン・バルタサルは、新約聖書におけるイエス・キリストの誕生の物語に登場します。彼は、金、乳香、没薬を贈る三賢者の一人として記述されています。
- 中世はサン・バルタサルの伝説が広まり、彼はしばしばアフリカ出身とされ、黒人の王として表現されるようになりました。
- 17世紀はサン・バルタサルに捧げる信仰が、スペインとその植民地、特に南米に広がります。
- 19世紀はアルゼンチンのコリエンテス州を中心に、サン・バルタサルに捧げる祭りが形成され始めます。この祭りは、アフリカ系アルゼンチン人の文化とアイデンティティの象徴となりました。
- 現代はサン・バルタサル祭はアルゼンチン文化の重要な部分として認識され、毎年1月に盛大に祝われています。
新約聖書において、東方の三賢者に関する記述は、マタイによる福音書の第2章に見られます。 この部分では、イエス・キリストの誕生時に東方から来た賢者たちが、ヘロデ大王を訪れ、新しく生まれた「ユダヤ人の王」を探していることが語られています。 マタイ福音書 2:1-12では、賢者たちが星に導かれてベツレヘムに到着し、そこでイエスを拝んで、それぞれ金、乳香、没薬の贈り物を捧げる様子が描かれています。 しかし、当時は賢者たちの具体的な名前や人数は、新約聖書のこの部分では明示されていません。 彼らの名前や人数は、後世のキリスト教の伝統や芸術作品を通じて形成されたものです。
祭り流れ〜前夜祭から
毎年1月5日からアルゼンチンのコリエンテス州はサン・バルタサル祭の活気に包まれます。
この祭りの為に、アルゼンチン国内の各地からや、ウルグアイなどの近隣諸国からも人が集まります。
ブエノスアイレスからは、車で約12時間。
今回は、自転車で8日間かけてブエノスアイレスから来ていたタンボール奏者も!
この祭りは、5日が前夜祭で6日が本番というようなニュアンスで、クリスマス、クリスマスイブのような感覚でしょうか。
なので、現地では、「祭り自体は6日」と言われています。
コリエンテス州では、30年前からこの祭りが行われています。
この祭りは、1920年から1930年にかけて隆盛を極め、その後いくつかの中断を経て1994年に再び復活しました。
場所
神様が祀られる舞台となるのが、カンバ・クア公園。
祭りの活動
- 開幕と準備は祭りは、地元コミュニティが集まり、伝統的な衣装を着用し、飾り付けを行うことから始まります。
- 音楽とダンスは祭りのハイライトは、伝統的なアフリカ系音楽とダンス、特にカンドンベです。カンドンベは、アフリカ系のリズムに基づいた音楽で、ドラムのリズムが特徴的です。
儀式と祈り
- 宗教的な儀式はサン・バルタサルへの祈りと儀式は、祭りの中心的な部分です。地元の教会や霊廟で行われるこれらの儀式は、祭りの霊的な側面を表しています。
- コミュニティの絆はこれらの祈りと儀式は、コミュニティの結束を深め、祖先への敬意を表現する機会となっています。
食べ物と共同体
- 共同体の食事は地元の料理と共に集うことは、コミュニティの一体感を育みます。伝統的なアルゼンチン料理やアフリカ系の料理が振る舞われ、祭りの楽しさを高めます。
祭の主催者は?!
元々はドン・オスバルド・カバジェーロ(Don Osvaldo caballero)と、その妻のアリシア・カバジェーロ(Alicia Caballero)が祭りを発展させていましたが、数年前よりその娘のガブリエラ・カバジェーロ(Gabriela Caballero)に引き継がれ、この文化的遺産を続けています。
祭の行程
19時頃から神様とタンボール(太鼓)を主催者Caballero家(カバジェーロ)から持ち出します。
神様はトラックに乗せられ、公園へ移動。
タンボールは、別の場所へ移動させ、火を焚いて、そこでタンボールを火のそばで清めます。
スピリチュアル的に清めの効果もありますが、科学的にも太鼓の皮を乾燥させて、祭の間、よく鳴らせ響かせるためにもとても重要な工程になります。 約3時間ほど火にかざして出発します。
川沿いの道を踊りと太鼓で練り歩きながら、カンバ・クア公園まで大行列で移動。
今年は、例年より1時間長く、3時間休みなく踊り・叩き、サン・バルタサルを讃えました。
カンバ・クア公演に到着し、神棚(サン・バルタサルが並んでいる)ところまで続き、
そこで、神様に踊り、リズムを捧げ終了。
サン・バルタサル祭の文化的意義
サン・バルタサル祭は、アルゼンチンにおけるアフリカ系文化の重要な象徴であり、この地域の多様性と多民族、多文化への寛容さを示すイベントです。
- 文化的アイデンティティの維持はサン・バルタサル祭は、アルゼンチンにおけるアフリカ系文化のアイデンティティを強化し、その伝統を次世代に伝える役割を果たしています。
- 音楽とダンスの展示はカンドンベやその他の伝統的なアフリカ系音楽とダンスが披露され、これらの芸術形態が広く認識される機会となっています。
神とともにある音楽を考える
日本でも似たような風習があるのをご存知でしょうか。
それが御神幸という文化。
神様のお散歩という形で今でも受け継がれています。
各地域では神社から神様(日本の場合、多くは八百万)を神楽にお迎えし、みなで行列を作りながら音楽とともにお散歩をします。
今回のサン・バルタサルも同じようなポイントがあるかと思います。
ただし重要な点がやはりそれが一神であるということ。
海外の文化とりわけキリスト系の宗教神というのは一神であるわけです。
なので、御神幸といってもどの地域、どの神社だって、ぼんやりしているんです。
ぼんやりしていないのは唯一、元伊勢から伊勢神宮に天照大神が移動したときのみ。
この時はサン・バルタサルと同様、明確に天照大神様を乗せて移動したというわけです。
この文化的、宗教的スタイルの違いが非常に面白いのではないでしょうか。
宗教文化と音楽を語るには記事の量があまりにも足りませんが、みなで一丸となってサン・バルタサルをお迎えする、そして一緒に散歩する、そしてみんなで音を鳴らす。
神聖な音を鳴らすことで場を清めるという効果があるわけです。
南米の宗教文化の特徴
さて、南米といえばインカ帝国。
例えばフォルクローレ等もですが、インカ帝国時代の文化もそのまま採用しアルゼンチンの文化的な基礎をある程度築いているといえるので、ここでインカ帝国の宗教観も考察してみましょう。
インカ帝国自体の宗教は多神教
インカ帝国は多神教を採用していました。
特に太陽神インティは中心的な存在で、インカ皇帝は太陽神の子とされていました。
他にも、創造神ビラコチャや雷神チュキ・イラなどが信仰されていました。
主要な神々:
- ビラコチャは創造神で、地球、人間、動物を創造し、さまざまな形で存在した。ビラコチャは人々に技術を教え、広く旅をし、最終的に太平洋に消えたとされています。
- インティは太陽神で、インカのパンテオンにおいて最も重要な神。農業の成功に不可欠とされ、インカの祖先と考えられていました。
- アプ・イリャプは雨をもたらす神で、農業の神。乾燥時には彼の神殿への巡礼と犠牲が行われました。
- ママ・キリャは太陽神の妻で、月の女神。月の満ち欠けはインカの祭りの周期を決定するのに使われました
また、自然界や生命の源とされる山々も崇拝の対象でした。
これはまさに日本の八百万の宗教観に似ているところがあります。
太陽神インティという中心的な存在がありながらの多神教は、まさに天照大神という中心存在のなかの神々というニュアンスでしょうか。
また、ワカの信仰という概念があります。
ワカとはインカ帝国における神聖な場所や物のことで、岩、彫像、洞窟、滝、山など様々な形で存在しました。
インカ人はこれらのワカに祈り、犠牲を捧げることで霊的な助けを求めていました。
これも日本と共通する概念があるのではないでしょうか?
日本神道でも御神木をはじめ自然界の場所や物に対して神を宿す、祀るという風潮があります。
先祖崇拝
インカ帝国ではミイラの文化があり、亡くなった重要人物はしばしばミイラ化され、特別な行事で彼らの墓から取り出され、重要なコミュニティイベントに参加させられることがありました。
インカ帝国の運営自体は江戸時代の日本のようなイメージを彷彿とさせており、王(殿様のような存在)が各地域に派遣され統治していましたが、非常に興味深いところが、その地域の王が死んだとしてもミイラとして統治し続けるという文化を持っていたことでした。
実はこういった先住民族的な思想や宗教観が先日紹介したガウチート・ヒルなどの民間信仰文化につながっていると考えることができます。
神になった経緯
今回サン・バルタサルを取材してみて感じたことは、サン・バルタサルはどうして、なぜ神になったのか?でした。
サン・バルタサルはキリスト教伝統において、イエス・キリストの誕生を祝う三賢者の一人として知られていることまではわかりました。
おそらくは新生児のときに訪れたという点が大いに評価されたのかもしれません。
キリスト教視点でみたときの救世主の登場をしっていた(予言)わけですから。
そのように考えるとサン・バルタサルというのはモーセのような立ち位置がイメージとしてはしっくりくるのかな?と思ったりもしています。
イエスに贈り物を持って訪れたというこの行為自体はキリスト教におけるエピファニー(公現祭)の起源となりました。
また、サン・バルタサルは、特に黒人として描かれることが多く、これが彼の人気と特別な意味を高めているとする説もあります。
サン・バルタサルはコリエンテス州以外にもアフリカ系コミュニティーがある場所では似たようなお祭りがあるとされています。
サン・バルタサルはどこにいるのか?
ここがさらに疑問を感じるポイントになるわけです。
他の地域でサン・バルタサルを祀っているわけではなく、コリエンテス州の主催者のお宅からサン・バルタザールを散歩に連れ出すわけです。
では他の地域では?
実はサン・バルタサル祭りの際に、彼の像や聖遺物を家から祭りの場所に持ち運ぶ習慣は、コリエンテス州特有の慣習だそうです。
この地域では、サン・バルタサルを祀る家庭があり、祭りの前に彼の像を家から持ち出して、祭りの場所へと運ぶことが伝統となっています。
他の地域では、サン・バルタサルを祝う方法は異なります。
多くの場合、以下のような慣習が見られます。
- 宗教的なミサや礼拝:
- 多くの地域では、サン・バルタサルを祝うために特別なミサや礼拝が行われます。これには、彼の物語の朗読や、彼の意義を記念する祈りが含まれることがあります。
- 行列やパレード:
- サン・バルタサルを祝う地域では、しばしば行列やパレードが行われます。これらは、彼の聖像や聖遺物を運ぶことが含まれることもあり、地域のコミュニティが一堂に会する機会となります。
- 音楽とダンス:
- アフリカ系コミュニティが強い地域では、サン・バルタサルを祝うための音楽やダンスが重要な役割を果たします。特にカンドンベなどの伝統的なアフリカ系の音楽が演奏されることがあります。
- 家庭での祝祭:
- 家庭内での小規模な祝祭や食事も一般的です。家族や友人が集まり、共に食事をとりながらサン・バルタザールを祝うことがあります。
まとめ
これらを総合してまとめると、民族の信仰であると考えられます。
キリスト教は世界宗教となりました。
その世界宗教に自分たちの民族が貢献した証のようなものでしょうか?
私たち日本人も、日本人初の・・・など、世界の名だたる業界や企業、テクノロジーなどに貢献すると誇らしいものです。
例えば今はアルゼンチン出身のフランシスコがバチカンでローマ法王を務めていますが、仮にこれが日本人の山田太郎さんが、世界初のローマ法王となれば・・・
日本のキリスト教では相当な盛り上がりとなり、山田太郎大明神となることでしょう。
この感覚こそが、サン・バルタサル文化を理解することにつながると思います。
アルゼンチンの祭りを知る
ガウチート・ヒルという聖人
キリスト教の国アルゼンチンですが、地域には土着の神様はたくさんいます。
もちろんインカ帝国ゆずりの神様だったり、日本で言うところの八百万のようにアミニズム的信仰があったりと様々ですが、そんな中でもコリエンテス地方がはじまりとされるガウチョ、"ガウチート・ヒル"について本日は徹底解説していきます。
Profile
この記事を担当:こうたろう
1986年生まれ 音大卒業後日本、スウェーデン、ドイツにて音楽活動 ドイツで「ピアノとコントラバスのためのソナタ」をリリース後帰国 金田式DC録音のスタジオにて音響学を学ぶ 独立後芸術工房Pinocoaを結成しアルゼンチンタンゴ音楽を専門にプロデュース その後写真・映像スタジオで音響担当を経験し、写真を学ぶ 現在はヒーリングサウンド専門のピアニスト、音響エンジニア、フォトグラファーなどフリーランスのマルチメディアクリエーターとして活動中 当記事ではアルゼンチンタンゴを知るためのコアな知識を考察していきます ♪この記事には広告リンクを含みます
ガウチート・ヒル
ガウチート・ヒルの伝説は、アントニオ・ヒル(Antonio Gil)という名のガウチョ(アルゼンチンのカウボーイ)に由来しています。
彼は不正な裁判によって死刑にされたとされており、その後、彼の墓は奇跡の場所として崇拝されるようになりました。
奇跡の場所として崇拝されるようになる背景には彼の神がかり的な力にありました。
世界各地で見られる手かざしや祈りの力で病気を治す力。
ガウチート・ヒルも例外ではなく、彼に病気を治してもらいたい多くの人が彼の元を訪れ祈りの力で様々な病気を治してきたと伝えられています。
歴史
Antonio Plutarco Cruz Mamerto Gil Núñez(アントニオ・マメルト・ヒル・ヌニェス)(1847年頃 - 1878年)は1840年代にメルセデス市(かつては「ペイ・ウブレ」)の近くで生まれ、そこでガウチョになるまで育ったと言われています。
三国同盟戦争で戦うために徴兵された際、神からのお告げの夢を見たと伝えられています。
それは「戦いの中で無実の人を決して殺さないようにしなさい」というものでした。
その結果、軍から脱走し、追われる身となってしまいます。
その後彼は、金持ちから盗み、貧しい人々に分け与える泥棒として有名になりました。
多くは牛などの食料だったと言われています。
最終的に 1878 年 1 月 8 日に逮捕され、エスピニージョの木に逆さ吊りにされ、そこで首を切断されるという死刑判決を受けました。
死ぬ前に、彼は死刑執行人に対し、家に着くと息子は重篤である、と告げます。
ガウチート・ヒルは「私を思い、祈れば、君の息子の病気は治る」と執行人に告げ、執行人は言うとおりにし、ガウチート・ヒルの祈りによって息子は奇跡的に助かったと伝えられています。
それ後、感謝の気持ちを込めて執行人はガウチート・ヒルが処刑された場所に戻り、彼を埋葬。
エスピニージョの木で十字架を立てガウチート・ヒルの聖地として誕生しました。
ガウチート・ヒルは、アルゼンチンの民間信仰と文化的アイデンティティの一部として重要な役割を果たしています。 彼は弱者の守護者として、また不正に対する抵抗の象徴として尊敬されています。
映像資料
ここはコリエンテス州の聖地。
少し異様な雰囲気が漂っています。
ガウチート・ヒルの主な聖域は、メルセデス市から約 8 km 離れた彼の処刑場とされる場所に位置しており、彼の追悼を捧げた空の霊廟 (つまり慰霊碑) があります。
霊廟の壁には、聖人によって与えられたさまざまな奇跡への感謝を表す約 5 万枚の銘板が飾られています。
脇には彼が絞首刑に処せられた木が立っている。
お供物としては、ろうそく、赤いリボンと花、タバコ、アルコール飲料の瓶の形で残されており、これらはガウチトが生前に好んでいたといわれるものです。
毎年1月8日には、ガウチート・ヒルを記念する祭りがコリエンテス州で開催されます。 この日は彼の死を悼む日とされ、多くの人々が集まり、彼の生涯と奇跡を祝います。
聖地で起こった奇跡?!
青いタンゴ礁の仲間、パーカッション奏者のナッチョが送ってくれた動画。
ちょうどこの場所をガウチートの命日である1月8日に通りかかり、
道には参拝者がたくさん。
何時間もかけて歩いてくる人や、馬でやってくる人もいるそう。
そんな大切な日に、ガウチート・ヒル前を通過中、
前方にエンジンがかからなくなった車が。
困った人を放って置けないナッチョは後ろから押してあげることに・・・
ナッチョの車のエンジンで前方の故障車両が前に進みます。
これ、日本だと大問題なので真似しないようにしてくださいね。
すると、何度押してもエンジンかからず、故障車はいったん端に寄せて対策を考えることにしたそうなんですが、しばらくすると、なんとエンジン再起動!?
というわけで、ナッチョのあと推しがあったからなのか、ガウチート・ヒルの奇跡の力かその車は無事にガウチート・ヒルの聖地を通過することができたわけです。
その時の様子がこちら!
前方の赤い車がエンジン止まっちゃった車。
国家と信仰
実際にガウチート・ヒルが存在していたかどうかも定かではないという研究者もいるほど、実在した証拠も歴史的な資料も残されておらず、語り継がれている話ばかりなので、どこまで信憑性が高いか誰にもわかりません。
一部の地域ではカルト扱いされたりしています。
カルトであっても、カルトでなくてもその地域の神様に対しては最大限の敬意を払うようにしましょう。
実際に1900年代中盤からはアルゼンチンの発展とともに、新自由主義の思想が付随して急速に信仰が広まっており、2019年の時点で、アルゼンチン人の約23%がガウチトの信者であるという説もあります。
特にコリエンテス州や出身者には熱烈な想いを持っている方も多いので、アルゼンチンやこのエリアに旅をする方は文化的な知識として知っておくといいですね。
よくある質問
サン・バルタサル祭とは何ですか
1月6日に行われる、黒い聖人バルタサルを祝う祭りです。太鼓とともに踊り、アフリカ系の人々が守り続けてきました。
なぜ黒い聖人なのですか
東方の三博士のひとりバルタサルが黒人として描かれてきたためです。奴隷として連れてこられた人々が、自分たちの姿を重ねて信仰の対象としました。
どこで見られますか
アルゼンチン北東部のコリエンテス州が中心です。1月6日の前後に各地で行われます。
アルゼンチンには他にどんな祭りがありますか
1月から2月のカーニバル、2月のブドウ収穫祭 (メンドーサ)、1月のフォルクローレの祭典 (コスキン) などがあります。