【1933年】10代のトロイロの演奏が聴ける『Los tres berretines 』
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非常に貴重な歴史資料となっており、アルゼンチンやタンゴの歴史を知る上で重要な文化ですので、歴史好きな方も是非楽しんでみてはいかがでしょうか。
Arnaldo Malfatti (アルナルド・マルファッティ) と Nicolás De las Llanderas (ニコラス・デ・ラス・シャンデラス)の合作による劇作品で、Lumiton (ルミトン)という映画会社により制作されました。
現在Lumiton (ルミトン)は残っていませんが、博物館として当時の様子を感じることが出来ます。
キャスト
- ルイス・サンドリーニルイス
- アラタエクトル
- キンタニージャベニータ
- プエルトラスマレーナ
- ブラボールイーザ
- ヴェヒルマリオ
- ダネシ
音楽
音楽はピアニストで作曲家のエンリケ・デルフィーノとイシドロ・マイステギが担当しています。
10代のトロイロの演奏を堪能
これはタンゴの歴史資料として大変貴重なものになります。
“Foccile Marafiotti”という名前のトリオでの演奏を聴くことができます。
バイオリンはヴィセンテ・タグリア、ピアニストはホセ・マリア・リスッティでバンドネオンがトロイロとなっています。
演奏曲はエンリケ・デルフィノとマリオ・ラダの “Araca la cana” (アラカ・ラ・カナ)。
ANIBAL TROILO – LUIS DIAZ(演奏部分のみ抜粋 / Youtubeへ)
なんと、この映画に出て来るトロイロは、トロイロの残っている録音・映像全ての記録の中で最も古い資料と言われています。
映画の終わりの方ではオスバルド・フレセドオルケスタによるアラカ・ラ・カナと、ベンタニータ・フロリダが聞くことができ、映画ファンならずともタンゴファンにとっても大変貴重な演奏を堪能することができます。
映画の翻訳と解説
Los tres berretines (1933)(Youtubeへ)
映画のタイトルになっている「berretín」には「強情、強い愛情、気取り」の意味がありますが、気まぐれ、わがまま、幻想などのニュアンスも含んでおり、「Tener un berritin」=「berritin を持つ」は、”あるものに取り憑かれるくらい好き(興味を持っている)、それを絶対達成したい!!” や、”今すごく大好きなものや熱狂される事” という意味、解釈になります。
この映画の中では3つの取り憑かれるくらい熱狂的な好きな事として捉えられているのが「サッカー」、「映画」、「タンゴ」というわけでなんです。
ストーリー
映画の中心となるのは、ブエノスアイレスの一般的な中流家庭。
金物屋を営む父。
世間では、「サッカー」、「映画」、「タンゴ」などが流行っており、老若男女がそれらの娯楽に熱狂的になっている。
そんな娯楽に溺れてしまうと、経営が成り立たなくなってしまうという考えから、かたくなに、楽しむことを許さない父。
そして、それらのことに熱中している人を見ると腹が立って仕方がない様子。
店に立っていると、店の前で遊んでいた少年たちのボールが店の中へ。
父は怒り狂った顔で子供たちを怒鳴りにいく。
店から帰宅父を迎えたのは、一緒に住んでいる彼の父。
妻や、娘、みんなはどこいったのか?と聞くと、「彼女たちは映画館に映画を見に行ったよ。」
3人の息子は、それぞれに自分のことをしていました。
- 一人は昨日から遊びに出かけて帰ってこない。
- 一人はサッカー選手に夢中。
- 一人はタンゴを作曲して引きこもっています。
そうこうしている間に、昨夜から帰らず夜遊び息子が帰ってきます。
息子は建築家であり、父の誇りでもあります。
今日が誕生日である父にプレゼントもぬかりなく用意しています。
「さすが建築士だ!ありがとう!」と父。
「僕が応募した建築のコンクールに企画が通ったら、その時は期待しててね!」と息子。
「俺は君が必ず通ることを確信している!」父。
そうこうしている合間に映画を楽しんできた女たちが帰ってくる。
「映画なんか楽しまずに、さっさとキッチンで家事をしてくれ」と怒鳴り立てる父。
機嫌を損ねるが、父に従う妻と娘。
そして、祖母。
そんなやり取りの中、、奥の部屋からタンゴに熱狂的な他の息子が。
父「お前は明日から俺と店の手伝いをするんだ!」
息子「へ??じゃあ、僕の作ってるタンゴはどうなるの??頭でいつもタンゴが想像できる」と言いつつも、強引に店番をさせられることに。
そうしたらサッカー選手が帰宅。
顔にアザを作って帰ってくる。
サッカーに熱狂的になり喧嘩もする息子に「出て行け」と言う。
「ok, だったら出て行くよ」と、家をでる息子。
全ての娯楽を嫌う父であったが、心のそこでは楽しみたい父。
徐々にその頑固な心を柔らかくし、最後は、彼はその3つ全部を頼むこととなる・・・・
「映画 」映画なんて行くなと父に言われた母は、結婚30年記念に父を誘ってみたらいいじゃないか、と子供たちに押されて、結婚写真を持って、「今日は私たちの30年記念ね」と言いに行く。
父「おおお、もう30年か。色々苦労させてごめん。もうこれからは、なんでも許してやるぞ。」のセリフを聞いてガッツポーズの母母「映画に行きましょうよ!」父「もちろん」
「タンゴ」最終的に息子の曲が演奏されるバーにこっそり足を運び、そこでシャンパンととも大笑いしながら息子のタンゴを楽しんでいる。
(ここで若き日のトロイロが演奏がはじまります)
しかしそれまでに息子は・・・
曲の簡単な楽譜ができたら、バーやカフェの専属ピアニストにそれを弾いてみてくださいと楽譜を持って行く。
最初に頼んだピアニストは曲をマーチのように弾いたので、気に入らず、別のピアニストに持って行く。
2人目のピアニストは思い通りのスタイルに気に入ったように弾いてくれたので、「編曲して演奏してほしいのだが、いくら?」と仕事の交渉。
ピアニストは「友達価格で5peso」を答えて、交渉成立となります。
しかし、他に収入がない作曲家(息子)は、家族に5pesoをねだる。
1933年の5peso。
1930年代の1米ドル/peso を調査し、5ペソをドルに変換。
1米ドル/日本円を調査5ペソから変換されたドルを日本円に変換。
当時の日本円の現在価値に変換。
という方法で算出してみました。
ちなみに1912年にカルロス・ガルデルが初めてのレコーディングで得た報酬が180ペソだったと伝えられています。
インフレも物価変動も激しいアルゼンチンですから正確な感覚はわかりません。
カルロス・ガルデル(Carlos Gardel, 1890年12月11日? – 1935年6月24日 / 44歳没)
【1930年】英雄カルロス・ガルデルの短編映画『Asi Cantaba Carlos Gardel』
サッカーが大好きな息子を家から追い出したことが実は気になっている父。
サッカーのスターになって、新聞にも取り上げられ、それを見つけて密かに切り抜きを取っています。
ある日家族が息子の試合を見に行くといい支度をしていると、祖父が「お前は行かないのか?」と声かける。
「サッカーなんて見てられるか!」と返事をするが、
祖父「彼はなんと今期の試合で36ゴール決めたらしい、すごい!」父「38だよ!!」
とわざと違う数字を言って試した祖父に引っかかり、実はめっちゃ気になってることがバレてしまう。
しかし頑なにサッカーの試合に行こうとはしないが、家族が出て言った後に、「もう我慢できない!!」と大急ぎで駆けていく。
(51分あたりからの父の急ぎ具合が面白い)
それぞれの3つの熱狂的な事を達成していく中、建築士の息子は、コンクールに落ち、会社も首になる。
しかし、コンクール会場で「この企画は1位のよりもいいと思うわ!!」と横で呟いていた女性と恋に落ちる。
金物屋の息子とは位が違うような身分の合わない女性だったが、お互いに恋に落ちる。
しかし、女子の家族にも認められず、音信不通を男子が決意。
彼女は家族とともにヨーロッパにいくことになってしまう。
しかし、ローマへの船が出発する直前に男は、船に乗り込み、女子を連れ出しブエノスアイレで共に過ごすことになった(ようだ。)
何れにしても、タンゴ的視点からは、前回の映画「Tango!」からもわかるように、一般的にタンゴが中流家庭でも楽しめており、他の娯楽に並ぶ生活の中に密着する娯楽として浸透していました。
とても身近な存在だったと言えます。