【1930年】英雄カルロス・ガルデルの短編映画『Asi Cantaba Carlos Gardel』

アルゼンチンのエンタメ界の英雄とも言えるカルロス・ガルデルが関連する映画についてご紹介します。

アルゼンチン最古の映画は無声映画でしたが、今日ご紹介するカルロス・ガルデル短編映画は有声映画となっています。

カルロス・ガルデル(Carlos Gardel, 1890年12月11日? – 1935年6月24日 / 44歳没)

【1929年】アルゼンチン最古の映画『Mosaico Criollo』

エドゥアルド・モラル監督の有声映画制作

エドゥアルド・モラル監督は、最初の有声映画を制作する以前に二つの無声映画である「アンダールックオブゴッド(1926)」と「ラ・ボラチェーラ・デル・タンゴ(1928年)」に俳優として参加していました。

モラル監督は、友人のカルロス・ガルデルに、「アルゼンチンで最初の有声映画」でレパートリーの中から一曲を披露してもらえないか交渉します。

交渉当初、カルロス・ガルデルは出演に消極的だったと伝えられています。

当時ガルデルの歌が収録され公開された歌
「パドリノ・ペラオ」“Padrino Pelao” (tango)
「テンゴ・ミエド」Tengo miedo”(tango)
「カンチェロ」“Canchero” (tango)
「エンフンダ・ラ・マンドリナ」“Enfundá la Mandolina” (tango)
「アニャランサス」“Añoranzas”
ガルデルと作曲者も一緒に出演している4曲
“Rosas de Otoño” (vals) 「ロサ・デ・オトーニョ」フランシスコ・カナロと共に出演
“Yira yira” (tango) 「ジーラ・ジーラ」エンリケ・サントス・ディセポロと出演
“El Carretero” (canción criolla) 「エル・サレテロ」アルトゥーロ・デ・ナバと出演。
“Mano a Mano” (tango) 「マノ・ア・マノ」セレドニオ・フローレスと出演。

「ビエホ・スモーキング」という歌の前には、俳優のセサール・フィアッシと、イネス・ムライと共に、短編コメディを演じています。

それぞれの曲は、ガルデルのギター奏者3人による伴奏で演奏されています。

これらカルロス・ガルデルの短編歌シリーズは、友人のフランシスコ・カナロと、エドゥアルド・モラル監督との共同制作によって、「アルゼンチン発の有声映画」誕生となりました。

パブリックドメイン

左からガルデル、Ines Murray (イネス・ムライ)、Cesar Fiaschi (セサル・フィアスチ)、Eduardo Moral (エドゥアルド・モラル)。

ブエノスアイレスのタンゴマニアのおじちゃんに聞いてみたところ、場所は、スタジオのあった 住所:Mexico 840 の可能性が高い!とのこと。

ガルデルのココが凄い

ガルデルのすごいところは、単なる出演者、キャストとして交渉を進めなかった点でした。

ガルデルはこのチャンスに映画の共同プロデューサーとしてデビューし、映画史の1ページに俳優としてではなく、映画プロデューサーとしての名も残しました。

1930年にエドゥアルド・モラル監督から出演交渉が始まった際、映画プロデューサーのFederico Valle(フェデリコ・バッレ)と共演者のFrancisco Canaro(フランシスコ・カナロ)の三人でパートナーシップ契約を締結します。

この契約はすぐに解消となりましたが、同じ年の10月には同じく映画プロデューサーのJosé Razzano(ホセ・ラッツァーノ)とFrancisco Canaro(フランシスコ・カナロ)の三人でUnión Argentinaという制作会社を設立します。

当時の契約書の一部 / パブリックドメイン
ここにはカルロス・ガルデルは制作会社の一部であり、商業的な成功に応じて一定割合で報酬を受け取ることができる内容になっています。
当時は単発で雇われるミュージシャンがほとんどだったこの時代に類い稀なセルフプロデュースの才能を見事に披露してくれました。

契約書の一部を和訳

(和訳:青いタンゴ礁)

まずは筆記体で書かれた内容をブロック体に戻してみます。

En la ciudad de buenos aires a los un dias del mes de octubre del año 1930 (mil novecientos treinta), entre los señores Carlos Gardel, domiciliado en la calle Jean Jaures setecientos treinta y cinco, Jose Razzano, domicílianos en la calle Esteban Bonarino cuatro cientos setenta y siete y Francisco Canaro domiciliado la calle Tagle dos mil ochocientos sesenta y seis de esta ciudad, se conviene los siguiente :  primero los nombrados constituyen en una sociedad de nominada “Union Argentina” , social difusora de obras musicales y cinematográficas, la que tiene por objeto : representar, administrar, percibir y adquirir obras musicales con o sin letra, difundir estas en discos fonográficos (por  … 

1930年10月(1930年)にブエノスアイレス市にて、カルロス・ガルデル:住所ジャン・ジョレー 735 、ホセ・ラッツァーノ:住所エステバン・ボナリーノ477、フランシスコ・カナロ :住所Tagle 2866の間で次のことに同意します。
第一:以上の者によって、音楽および映画作品の社会的普及者である「UnionArgentina」という名前の会社を構成します。
歌詞の有無にかかわらず音楽作品を表現、管理、受信、取得するには、これらをレコード盤で放送します(…

このような内容になっていますが、残されている資料はここまでになっています。
もし続きの資料が手に入ったら掲載予定です。
ちなみにここに登場する住所の場所を地図で確認しましょう。

Jean Jaures  735 (ジャン・ジョレー 735)

Esteban Bonorino 477 (エステバン・ボノリオ 477)

Tagle 2866 (タグレ 2866)

公開時の深刻な問題

エドゥアルド・モラル監督がアルゼンチン初の有声短編映画を完成させた際に深刻な問題が発生していることに気が付きます。

実は当時のブエノスアイレスの映画館では有声映画を公開するための設備が配備されていなかったのです。

それはまるで16Kで収録はできるけど、環境がない・・・

だったり、DSDで収録したけど、聴けない・・・

といった現代でも当たり前に起こるフライング収録だったというわけです。

交渉のはじまり

そこでエドゥアルド・モラル監督は、1930年代当時の映画館、グラン・スプレンディッドシネマの所有者であるクレメンテ・ロココと設備投資について交渉をはじめ、設備が整っていきました。

短編集は公開されているものが10本、モラル監督は全部で15本あると証言しており、1995年には未公開である5本のうちの一本であると推定されている「エル・キニエレロ」が発見されています。

制作中のエピソード

ガルデルがRosa de Otoñoを歌った時の逸話として面白い話が伝えられています。

Rosa de Otoñoの前に、フランシスコ・カナロとの対話のシーン(24:05あたり)があり、その後ろにカーテンがかかっています。

実はこの時、カーテンの後ろには、次のシーンのためにフランシスコ・カナロ楽団(6重奏)が控えていました。

このRosa de otoñoイントロダクションの時間ガルデルは何をしていればいいのか?

どう立ち回ればいいのか?等は特に決められていませんでした。

当時はカメラに向かって立っているだけで、観客もいなければ、オーケストラも見えない状況というのはあまりにも異空間だったと推察できます。

そこでエドゥアルド・モラル監督は、ガルデルに「胸のハンカチをとったり、下向いたり、自由にしてよ!」と言ったそうです。

こんな何気ない逸話ではありますが、時代背景や歴史を感じますよね。
ちなみに公開時の1930年はカメラの世界ではLeica L39スクリューマウントが登場した歴史的な年となっています。

バルナック型ライカの歴史を辿る / Oskar Barnack(Kotaro Studioへ)

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