タンゴを知る

アルゼンチン初期タンゴ映画|最古の一本からガルデルまで

PRこの記事は広告リンクを含みます
目次
  1. 第1章 (1929年): アルゼンチン最古の映画『Mosaico Criollo』
  2. 無声映画
  3. 第2章 (1930年): ガルデルの有声短編集『Así Cantaba Carlos Gardel』
  4. エドゥアルド・モラル監督の有声映画制作
  5. ガルデルのココが凄い
  6. 公開時の深刻な問題
  7. 交渉のはじまり
  8. 制作中のエピソード
  9. 第3章 (1933年): 初の長編有声映画『Tango!』
  10. Tango
  11. 全体の流れ
  12. まとめ
  13. さらに国民性がわかる映画
  14. 第4章 (1933年): 10代のトロイロが聴ける『Los Tres Berretines』
  15. キャスト
  16. 音楽
  17. 10代のトロイロの演奏を堪能
  18. 映画の翻訳と解説
  19. ストーリー
  20. 初期タンゴ映画を観る
  21. 関連記事

アルゼンチン映画の黎明期は、そのままタンゴの黄金時代の入口と重なっています。この記事は、当サイトの初期映画研究4本を1本に統合した正典ガイドです。1929年から1933年までのわずか5年間に、無声映画から有声映画へ、そして「タンゴ映画」というジャンルの成立までが一気に起こりました。

作品位置づけ
1929Mosaico Criolloアルゼンチン最古の映画 (無声+録音合成)
1930ガルデル短編集最初の有声短編映画。ガルデルは共同プロデューサー
1933Tango!初の長編有声映画。タンゴのドキュメンタリー的作品
1933Los Tres Berretines10代のトロイロの演奏が残る第2作

第1章 (1929年): アルゼンチン最古の映画『Mosaico Criollo』

アルゼンチンでは、1929年に国内初の映画が制作されました。

アルゼンチン最古となる映画は無声映画と録音音源の合成ではじまりました。

Mosaico curiolloというタイトルです。

無声映画

最古の映画であるMosaico curiolloは映像と音楽をそれぞれ別撮りし、編集で映像に繋ぎ合わせるという手法で制作されています。

実は結構現代でも変わってなかったりしますよね。

現代でもプロの現場ではカメラに内蔵されているADCやマイクアンプが使われることはほとんどありません。

タイムコードで同期して音声や音楽は別のシステムで制作し、あとから同期するというのが音楽ビデオや映画でも一般的かと思います。

現代でいうところのちょうどドローンの映像に後から音楽をつけるような感覚でしょうか。

いつの日かプロペラ音が無音且つ、高性能なマイクロフォンが搭載されるドローンが誕生するのかもしれませんね。

どんな作品なのでしょうか?

映像はパブリックドメインですが、音楽が著作権管理されているものになりますので、Youtubeに移動して聴いてください。

https://youtu.be/nCAfSMN3xKI

ちなみに公開時の1929年は世にも恐ろしいウォール街の大暴落・・・ 世界恐慌のはじまりとなる事件が起こっています。

第2章 (1930年): ガルデルの有声短編集『Así Cantaba Carlos Gardel』

アルゼンチンのエンタメ界の英雄とも言えるカルロス・ガルデルが関連する映画についてご紹介します。

アルゼンチン最古の映画は無声映画でしたが、今日ご紹介するカルロス・ガルデル短編映画は有声映画となっています。

エドゥアルド・モラル監督の有声映画制作

エドゥアルド・モラル監督は、最初の有声映画を制作する以前に二つの無声映画である「アンダールックオブゴッド(1926)」と「ラ・ボラチェーラ・デル・タンゴ(1928年)」に俳優として参加していました。

モラル監督は、友人のカルロス・ガルデルに、「アルゼンチンで最初の有声映画」でレパートリーの中から一曲を披露してもらえないか交渉します。

交渉当初、カルロス・ガルデルは出演に消極的だったと伝えられています。

当時ガルデルの歌が収録され公開された歌 「パドリノ・ペラオ」“Padrino Pelao” (tango) 「テンゴ・ミエド」Tengo miedo”(tango) 「カンチェロ」“Canchero” (tango) 「エンフンダ・ラ・マンドリナ」“Enfundá la Mandolina” (tango) 「アニャランサス」“Añoranzas”

ガルデルと作曲者も一緒に出演している4曲 “Rosas de Otoño” (vals) 「ロサ・デ・オトーニョ」フランシスコ・カナロと共に出演 “Yira yira” (tango) 「ジーラ・ジーラ」エンリケ・サントス・ディセポロと出演 “El Carretero” (canción criolla) 「エル・サレテロ」アルトゥーロ・デ・ナバと出演。 “Mano a Mano” (tango) 「マノ・ア・マノ」セレドニオ・フローレスと出演。

「ビエホ・スモーキング」という歌の前には、俳優のセサール・フィアッシと、イネス・ムライと共に、短編コメディを演じています。

それぞれの曲は、ガルデルのギター奏者3人による伴奏で演奏されています。

これらカルロス・ガルデルの短編歌シリーズは、友人のフランシスコ・カナロと、エドゥアルド・モラル監督との共同制作によって、「アルゼンチン発の有声映画」誕生となりました。

左からガルデル、Ines Murray (イネス・ムライ)、Cesar Fiaschi (セサル・フィアスチ)、Eduardo Moral (エドゥアルド・モラル)。

ブエノスアイレスのタンゴマニアのおじちゃんに聞いてみたところ、場所は、スタジオのあった 住所:Mexico 840 の可能性が高い!とのこと。

ガルデルのココが凄い

ガルデルのすごいところは、単なる出演者、キャストとして交渉を進めなかった点でした。

ガルデルはこのチャンスに映画の共同プロデューサーとしてデビューし、映画史の1ページに俳優としてではなく、映画プロデューサーとしての名も残しました。

1930年にエドゥアルド・モラル監督から出演交渉が始まった際、映画プロデューサーのFederico Valle(フェデリコ・バッレ)と共演者のFrancisco Canaro(フランシスコ・カナロ)の三人でパートナーシップ契約を締結します。

この契約はすぐに解消となりましたが、同じ年の10月には同じく映画プロデューサーのJosé Razzano(ホセ・ラッツァーノ)とFrancisco Canaro(フランシスコ・カナロ)の三人でUnión Argentinaという制作会社を設立します。

ここにはカルロス・ガルデルは制作会社の一部であり、商業的な成功に応じて一定割合で報酬を受け取ることができる内容になっています。 当時は単発で雇われるミュージシャンがほとんどだったこの時代に類い稀なセルフプロデュースの才能を見事に披露してくれました。

契約書の一部を和訳

(和訳:青いタンゴ礁)

まずは筆記体で書かれた内容をブロック体に戻してみます。

En la ciudad de buenos aires a los un dias del mes de octubre del año 1930 (mil novecientos treinta), entre los señores Carlos Gardel, domiciliado en la calle Jean Jaures setecientos treinta y cinco, Jose Razzano, domicílianos en la calle Esteban Bonarino cuatro cientos setenta y siete y Francisco Canaro domiciliado la calle Tagle dos mil ochocientos sesenta y seis de esta ciudad, se conviene los siguiente : primero los nombrados constituyen en una sociedad de nominada “Union Argentina” , social difusora de obras musicales y cinematográficas, la que tiene por objeto : representar, administrar, percibir y adquirir obras musicales con o sin letra, difundir estas en discos fonográficos (por …

1930年10月(1930年)にブエノスアイレス市にて、カルロス・ガルデル:住所ジャン・ジョレー 735 、ホセ・ラッツァーノ:住所エステバン・ボナリーノ477、フランシスコ・カナロ :住所Tagle 2866の間で次のことに同意します。 第一:以上の者によって、音楽および映画作品の社会的普及者である「UnionArgentina」という名前の会社を構成します。 歌詞の有無にかかわらず音楽作品を表現、管理、受信、取得するには、これらをレコード盤で放送します(…

このような内容になっていますが、残されている資料はここまでになっています。 もし続きの資料が手に入ったら掲載予定です。 ちなみにここに登場する住所の場所を地図で確認しましょう。

Jean Jaures 735 (ジャン・ジョレー 735)

Esteban Bonorino 477 (エステバン・ボノリオ 477)

Tagle 2866 (タグレ 2866)

公開時の深刻な問題

エドゥアルド・モラル監督がアルゼンチン初の有声短編映画を完成させた際に深刻な問題が発生していることに気が付きます。

実は当時のブエノスアイレスの映画館では有声映画を公開するための設備が配備されていなかったのです。

それはまるで16Kで収録はできるけど、環境がない・・・

だったり、DSDで収録したけど、聴けない・・・

といった現代でも当たり前に起こるフライング収録だったというわけです。

交渉のはじまり

そこでエドゥアルド・モラル監督は、1930年代当時の映画館、グラン・スプレンディッドシネマの所有者であるクレメンテ・ロココと設備投資について交渉をはじめ、設備が整っていきました。

短編集は公開されているものが10本、モラル監督は全部で15本あると証言しており、1995年には未公開である5本のうちの一本であると推定されている「エル・キニエレロ」が発見されています。

制作中のエピソード

ガルデルがRosa de Otoñoを歌った時の逸話として面白い話が伝えられています。

Rosa de Otoñoの前に、フランシスコ・カナロとの対話のシーン(24:05あたり)があり、その後ろにカーテンがかかっています。

実はこの時、カーテンの後ろには、次のシーンのためにフランシスコ・カナロ楽団(6重奏)が控えていました。

このRosa de otoñoイントロダクションの時間ガルデルは何をしていればいいのか?

どう立ち回ればいいのか?等は特に決められていませんでした。

当時はカメラに向かって立っているだけで、観客もいなければ、オーケストラも見えない状況というのはあまりにも異空間だったと推察できます。

そこでエドゥアルド・モラル監督は、ガルデルに「胸のハンカチをとったり、下向いたり、自由にしてよ!」と言ったそうです。

こんな何気ない逸話ではありますが、時代背景や歴史を感じますよね。 ちなみに公開時の1930年はカメラの世界ではLeica L39スクリューマウントが登場した歴史的な年となっています。

第3章 (1933年): 初の長編有声映画『Tango!』

アルゼンチン初の長編有声映画が発表されたのは、1933年4月27日。 Cine Real(シネ・レアル)(現在は閉鎖しているが、住所はEsmeralda 425) 制作会社は、アルゼンチンSono Film 映画の名前は・・・「Tango!」(タンゴ!)でした。 ちなみにアメリカで一番最初の長編有声映画はJazzを取り扱ったものだったことに影響されていたのかもしれません。 アルゼンチンではタンゴを取り上げ、当時の各地域でのタンゴとの関わり方や、話し方の特徴、社会の様子をよく表した構成になっており、映画というよりも、ドキュメンタリー色の強い1時間少々の作品となっています。

文学作品もそうですが、やはりこういった大衆映画や作品の中から当時の様子や空気感、雰囲気を掴むことは歴史を学ぶ上では大変重要な要素であると言えます。

日本語であらすじの解説も入れていますので、原語でも楽しめると思います。

約100年前のアルゼンチンの雰囲気を味わってみてください。

Tango

監督 Luis Moglia Barht 脚本Carlos de laPúa(カルロス・デ・ラ・プーア)

役者 Libertad Lamarque(人気俳優) Tita Merello(人気歌手) AlbertoGómez(人気歌手) Pepe Arias(ビクター契約歌手) ルイス・サンドリーニ(超人気俳優)

演奏 フアン・デ・ディオス・フィリベルトオーケストラ ペドロ・マフィア オスバルド・フレセド フアン・ダリエンソ楽団

全体の流れ

1 、Arrabal(郊外)(2分35秒)

家の庭に楽団がきて、ミロンガが行われる。 幼馴染にまだ恋する男と、タンゴで出会った男に惹かれる女。 地元だけに、ご近所さんのつながりや地域のつながりで生活に密着してタンゴが楽しまれていたということが見て取れる。

2、リアチュエロ(港)(12分45秒)

舞台はブエノスアイレスの港リアチュエロ(ボカにあるリアチュエロと呼ばれる港)のバーにて。 1組のカップルの男が他のテーブルの女に声をかけにいく。 取り残された女は、一人退屈そうにしている。 そこへ、その女を忘れられず悲しんでいた元彼がちょうど出くわし、 一人の彼女を発見。側へよる。 寂しさの隙間に入ってきたその男(アルベルト)に、「あなたに悪いことをしたわ。あの時がよかったと気づいの」と女。 そこへ他のテーブルに行っていた男が帰ってきて、怒り出す。 そして女を巡って、ナイフを持った喧嘩が行われる。 元彼が勝ち、彼女は「あああ、なんてことをしてくれたの、でも、ありがとう」とよりが戻る。 怪我をした男は、そこにいたもう一人の見物人に「友達が近くに住んでるから、そこまでついてきて!」頼む。 というコントのような展開。

3、バリオ(町)(23分42秒)

いつも心が戻る場所、バリオ。 そこのとあるバーにて。 女性による楽団が演奏している。 カフェとメディアルナを食べている(ブエノスアイレスの特徴の一つ)そして、パンをコーヒーに入れて食べる。 パリにいくことを伝える。 それに対しして、友人は「ガルデルと同じだな!!」と皮肉をいう。

なぜ皮肉になるのでしょうか。 当時脚本家のプアは、ガルデルとは友人関係でした。 この頃ちょうどガルデルは、アメリカでの仕事が決まり、ブエノスアイレスを捨てて、意気揚々とアメリカでの生活を送っていました。 それに対して皮肉を交えてこのセリフを入れているのではないでしょうか。

4、 La noche(夜)(42分40秒)

もちろん夜もタンゴ!なのです。 アルベルトの友達のついた嘘(忘れられない恋人Titaからの手紙が届いているよと嘘のハガキを見せられる)を本気に捉え、アルベルトとその嘘をついた友達はパリに向けて出発。 船旅の途中に出会った船の歌手に、忘れられない恋に希望を持って旅をしていると打ち明けるが、その歌手とパリでは共に行動することになります。 一緒にブエノスアイレスに帰ろうよ、と言われてしまう始末。 気の多いアルベルトの友達は、行った先のミロンガで他の女性にも気を取られる。

5、ブエノスアイレスに戻る(1時間5分15秒)

タンゴで仕事をもらえたアルベルト。 船で女性とうまくいい感じになり「今はタンゴが前よりも好きだ、タンゴで君にあったから」という甘い会話の途中に、旧友が駆け寄り、「Titaが前の家に戻ってるねんで!君をいつも待ってるのに!!」と言いアルベルトは「家行こうぜ」とすぐになります。 (そこで船の彼女を思い出し、駆け寄る。) 彼女には「僕の気持ちわかるだろ?!」と簡単に、良い、Titaの元へ。

結局tangoはBarrioに戻ってくる。という結末。

Titaとアルベルトは結ばれ、

Tita「タンゴで得た今までの仕事はどうするの??」

アルベルト「もう全部知った。全部得た。君が足りない」

外国のタンゴは日本人の行進んたいで、退屈だ。との皮肉もあり、Barrioに残るよ。

というエンディングを迎えます。

まとめ

タンゴは、結局のところ自分たちをBarrioに呼び戻し、本当に必要なものは、華やかな場所でもPariでもなく、Barrioにある。

ということが言いたいのではないでしょうか。

映画の全体的な特徴としては、各舞台が変わる度に、白文字で「Barrio」の場所のこと、また説明書きが文字で現れます。

これは、無声映画の名残で、監督たちがまだ完全に音声だけで映画を表現するのに抵抗と不安があり、文字でも書いているのではないか?と研究者は考えています。

脚本家のカルロスデラプア(カルロス・デ・ラ・プーア)は、タンゴのあった社会に生きそのタンゴ社会でのやり取りや、時代の様子を物語としてうまく表現している脚本家です。

さらに国民性がわかる映画

この映画の後、1933年5月19日にルミトン(Lumiton)という制作会社から“ Los Tres Berretines”という映画が公開されます。

この映画の成功により、アルゼンチンの映画業界はLumitonと、Argentina Sono Filmの2大制作会社が活躍していくことになります。

第4章 (1933年): 10代のトロイロが聴ける『Los Tres Berretines』

前回紹介した「Tango!」 に続き、第2作目有声映画として発表された映画「los tres berretines」についてお届け。 非常に貴重な歴史資料となっており、アルゼンチンやタンゴの歴史を知る上で重要な文化ですので、歴史好きな方も是非楽しんでみてはいかがでしょうか。

Arnaldo Malfatti (アルナルド・マルファッティ) と Nicolás De las Llanderas (ニコラス・デ・ラス・シャンデラス)の合作による劇作品で、Lumiton (ルミトン)という映画会社により制作されました。

現在Lumiton (ルミトン)は残っていませんが、博物館として当時の様子を感じることが出来ます。

ルミトン博物館(アルゼンチンのサイト)

キャスト

  • ルイス・サンドリーニルイス
  • アラタエクトル
  • キンタニージャベニータ
  • プエルトラスマレーナ
  • ブラボールイーザ
  • ヴェヒルマリオ
  • ダネシ

ルイス・サンドリーニは、前回紹介した映画「Tango!」 にも出演しており、当時の人気3枚目俳優として有名で、観客にとても人気がありました。

音楽

音楽はピアニストで作曲家のエンリケ・デルフィーノとイシドロ・マイステギが担当しています。

10代のトロイロの演奏を堪能

ここで注目してほしい点が、19歳の頃の伝説の巨匠:アニバル・トロイロの演奏を聴くことが出来る点です! これはタンゴの歴史資料として大変貴重なものになります。 “Foccile Marafiotti”という名前のトリオでの演奏を聴くことができます。 バイオリンはヴィセンテ・タグリア、ピアニストはホセ・マリア・リスッティでバンドネオンがトロイロとなっています。

演奏曲はエンリケ・デルフィノとマリオ・ラダの “Araca la cana” (アラカ・ラ・カナ)。

なんと、この映画に出て来るトロイロは、トロイロの残っている録音・映像全ての記録の中で最も古い資料と言われています。

映画の終わりの方ではオスバルド・フレセドオルケスタによるアラカ・ラ・カナと、ベンタニータ・フロリダが聞くことができ、映画ファンならずともタンゴファンにとっても大変貴重な演奏を堪能することができます。

映画の翻訳と解説

映画のタイトルになっている「berretín」には「強情、強い愛情、気取り」の意味がありますが、気まぐれ、わがまま、幻想などのニュアンスも含んでおり、「Tener un berritin」=「berritin を持つ」は、”あるものに取り憑かれるくらい好き(興味を持っている)、それを絶対達成したい!!” や、”今すごく大好きなものや熱狂される事” という意味、解釈になります。

この映画の中では3つの取り憑かれるくらい熱狂的な好きな事として捉えられているのが「サッカー」、「映画」、「タンゴ」というわけでなんです。

ストーリー

映画の中心となるのは、ブエノスアイレスの一般的な中流家庭。

金物屋を営む父。

世間では、「サッカー」、「映画」、「タンゴ」などが流行っており、老若男女がそれらの娯楽に熱狂的になっている。

そんな娯楽に溺れてしまうと、経営が成り立たなくなってしまうという考えから、かたくなに、楽しむことを許さない父。

そして、それらのことに熱中している人を見ると腹が立って仕方がない様子。

店に立っていると、店の前で遊んでいた少年たちのボールが店の中へ。

父は怒り狂った顔で子供たちを怒鳴りにいく。

店から帰宅父を迎えたのは、一緒に住んでいる彼の父。

妻や、娘、みんなはどこいったのか?と聞くと、「彼女たちは映画館に映画を見に行ったよ。」

3人の息子は、それぞれに自分のことをしていました。

  • 一人は昨日から遊びに出かけて帰ってこない。
  • 一人はサッカー選手に夢中。
  • 一人はタンゴを作曲して引きこもっています。

そうこうしている間に、昨夜から帰らず夜遊び息子が帰ってきます。

息子は建築家であり、父の誇りでもあります。

今日が誕生日である父にプレゼントもぬかりなく用意しています。

「さすが建築士だ!ありがとう!」と父。

「僕が応募した建築のコンクールに企画が通ったら、その時は期待しててね!」と息子。

「俺は君が必ず通ることを確信している!」父。

そうこうしている合間に映画を楽しんできた女たちが帰ってくる。

「映画なんか楽しまずに、さっさとキッチンで家事をしてくれ」と怒鳴り立てる父。

機嫌を損ねるが、父に従う妻と娘。

そして、祖母。

そんなやり取りの中、、奥の部屋からタンゴに熱狂的な他の息子が。

父「お前は明日から俺と店の手伝いをするんだ!」

息子「へ??じゃあ、僕の作ってるタンゴはどうなるの??頭でいつもタンゴが想像できる」と言いつつも、強引に店番をさせられることに。

そうしたらサッカー選手が帰宅。

顔にアザを作って帰ってくる。

サッカーに熱狂的になり喧嘩もする息子に「出て行け」と言う。

「ok, だったら出て行くよ」と、家をでる息子。

全ての娯楽を嫌う父であったが、心のそこでは楽しみたい父。

徐々にその頑固な心を柔らかくし、最後は、彼はその3つ全部を頼むこととなる・・・・

「映画 」映画なんて行くなと父に言われた母は、結婚30年記念に父を誘ってみたらいいじゃないか、と子供たちに押されて、結婚写真を持って、「今日は私たちの30年記念ね」と言いに行く。

父「おおお、もう30年か。色々苦労させてごめん。もうこれからは、なんでも許してやるぞ。」のセリフを聞いてガッツポーズの母母「映画に行きましょうよ!」父「もちろん」

「タンゴ」最終的に息子の曲が演奏されるバーにこっそり足を運び、そこでシャンパンととも大笑いしながら息子のタンゴを楽しんでいる。

(ここで若き日のトロイロが演奏がはじまります)

しかしそれまでに息子は・・・

曲の簡単な楽譜ができたら、バーやカフェの専属ピアニストにそれを弾いてみてくださいと楽譜を持って行く。

最初に頼んだピアニストは曲をマーチのように弾いたので、気に入らず、別のピアニストに持って行く。

2人目のピアニストは思い通りのスタイルに気に入ったように弾いてくれたので、「編曲して演奏してほしいのだが、いくら?」と仕事の交渉。

ピアニストは「友達価格で5peso」を答えて、交渉成立となります。

しかし、他に収入がない作曲家(息子)は、家族に5pesoをねだる。

1933年の5peso。

当時の5pesoは現在の日本円の価値にするとだいたい17500円程度?? 1930年代の1米ドル/peso を調査し、5ペソをドルに変換。 1米ドル/日本円を調査5ペソから変換されたドルを日本円に変換。 当時の日本円の現在価値に変換。 という方法で算出してみました。 ちなみに1912年にカルロス・ガルデルが初めてのレコーディングで得た報酬が180ペソだったと伝えられています。 インフレも物価変動も激しいアルゼンチンですから正確な感覚はわかりません。

サッカーが大好きな息子を家から追い出したことが実は気になっている父。

サッカーのスターになって、新聞にも取り上げられ、それを見つけて密かに切り抜きを取っています。

ある日家族が息子の試合を見に行くといい支度をしていると、祖父が「お前は行かないのか?」と声かける。

「サッカーなんて見てられるか!」と返事をするが、 祖父「彼はなんと今期の試合で36ゴール決めたらしい、すごい!」父「38だよ!!」

とわざと違う数字を言って試した祖父に引っかかり、実はめっちゃ気になってることがバレてしまう。

しかし頑なにサッカーの試合に行こうとはしないが、家族が出て言った後に、「もう我慢できない!!」と大急ぎで駆けていく。

(51分あたりからの父の急ぎ具合が面白い)

それぞれの3つの熱狂的な事を達成していく中、建築士の息子は、コンクールに落ち、会社も首になる。

しかし、コンクール会場で「この企画は1位のよりもいいと思うわ!!」と横で呟いていた女性と恋に落ちる。

金物屋の息子とは位が違うような身分の合わない女性だったが、お互いに恋に落ちる。

しかし、女子の家族にも認められず、音信不通を男子が決意。

彼女は家族とともにヨーロッパにいくことになってしまう。

しかし、ローマへの船が出発する直前に男は、船に乗り込み、女子を連れ出しブエノスアイレで共に過ごすことになった(ようだ。)

何れにしても、タンゴ的視点からは、前回の映画「Tango!」からもわかるように、一般的にタンゴが中流家庭でも楽しめており、他の娯楽に並ぶ生活の中に密着する娯楽として浸透していました。

とても身近な存在だったと言えます。

なにより10代のトロイロの演奏が聴けるというのはタンゴファンにとっては大変貴重な映画ですね。

アルゼンチン最古の映画は何ですか

1929年の「Mosaico Criollo」です。無声映画の映像と録音音源を合成する手法で作られました。公開された1929年は、くしくもウォール街の大暴落の年にあたります。

タンゴを扱った最初の映画は何ですか

長編ではアルゼンチン初の有声映画でもある1933年の「Tango!」です。各地区 (バリオ) でのタンゴと生活の関わりを描いたドキュメンタリー色の強い作品で、フレセドやダリエンソら実在の楽団が出演しています。

カルロス・ガルデルは映画に出演していますか

出演どころか、1930年の有声短編集では共同プロデューサーとして制作会社の設立契約に名を連ねています。本記事に当時の契約書の一部和訳を掲載しています。後年はハリウッドでも主演しました。

アニバル・トロイロの最も古い記録は何ですか

1933年の映画「Los Tres Berretines」に残る、19歳のトロイロがトリオで演奏する場面です。現存するトロイロの録音・映像の中で最古の資料とされています。

初期タンゴ映画を観る

関連記事

← 記事一覧へ