Osvaldo Fresedo

オスバルド・フレセド(Osvaldo Fresedo, 1897年3月5日 - 1984年11月18日 / 87歳没)

アルゼンチン・タンゴの作曲家、指揮者、バンドネオン奏者です。

El pibe de La Paternal(パテルナルの坊や)の愛称でも親しまれています。

フレセドはアルゼンチン・ブエノスアイレスの中流階級の家庭に生まれました。
最初にフレセドに音楽を教えたのはピアノ教師だった母親でした。
フレセドがまだ幼いころ、家族で労働者階級のエリアに引っ越します。
そこでタンゴと出会い、バンドネオンを演奏することを学び、1918年には、オスバルド・フレセド楽団を結成。
フレセド楽団は、タンゴ黄金期に一斉を風靡したオデオン五大楽団の一つとなりました。

渡米

1920年(23歳)、米国に演奏旅行を行います。

ニュージャージー州についたフレセドはピアニストのエンリケ・ペドロ・デルフィーノを始めとし、カルテットなどで数枚のアルバムのレコーディングに参加しました。

フレセドが渡米したちょうど一年後の1921年にピアソラはブエノスアイレスで産声を上げたわけですね。
ピアソラは4歳で渡米していますから、1928年までアメリカにいたフレセドとどこかですれ違っていたりして・・・

アストル・ピアソラ(Astor Piazzolla, 1921年3月11日 – 1992年7月4日 / 71歳没)

フレセドは1928年からパリのキャバレーで演奏活動をし、ブエノスアイレスに戻りました。

1930年代~

フレセドは1930年代と1940年代を通じてビクターで録音を続け、ロベルトレイ、リカルドルイス、オスカーセルパなどがボーカリストとして参加しました。

フレセドは1980年に音楽家を引退するまでオーケストラの指揮し続け、1980年にコロンビアレーベルで最後のレコーディングを残しました。

1984年11月18日に死去。

作曲リスト

アモール【Amor】(Vals)

アロマス・タンゴ【Aromas】( Tango) (1923)

アラバレーロ【Arrabalero】(Tango) (1927)

バンドネオン・アミーゴ【Bandoneón amigo 】(Tango)

カント・デ・アモール【Canto de amor】(Tango)

シエリート・ミーオ【Cielito mío】(Tango) (1921)

デ・アカデミア【De academia】(Tango)

デスデ・ラス・ヌーベス【Desde las nubes】(Tango)

エル・コミシオナード【El Comisionado】(Tango)

エル・エスピアンテ【El espiante】(Tango)

エル・オンセ(ア・ディベルティールセ)【El once (A divertirse)】(Tango)

イドロス【Idolos】(Tango)

ラ・ラトーナ【La Ratona】(Tango)

マドレ・ミーア【Madre mía】 (Tango)

ミ・ビエホ・レロッフ【Mi viejo reloj】(Tango)

オロ・イ・セダ【Oro y seda】(Tango)

パンペーロ【Pampero】(Tango) (1935)

パチート【Panchito】(Tango)

ペルドン・ビエヒータ【Perdón viejita】(Tango) (1925)

ピミエンタ【Pimienta】(Tango)

ピントゥーラ【Pinturita】(Tango)

ポブレ・チカ【Pobre chica】(Tango)

ポル・ケ【Por qué】(Tango) (1931)

ロンダ・デ・アセス【Ronda de ases】(Tango)

ロサリーナ・リンダ【Rosarina linda】(Tango)

シ・デ・ミ・テ・アス・オルビダード【Si de mí te has olvidado 】(Tango) (1942)

シエンプレ・エス・ナルナバル【Siempre es carnaval】(Tango) (1937)

ソショソス【Sollozos】(Tango) (1922)

タンゴ・ミーオ【Tango mío】(Tango) (1931)

テ・ピンタステ・ロス・オホス【Te pintaste los ojos】(Tango)

ウナ・ゴタ・デ・ロシオ【Una gota de rocío】(Tango)

ビダ・ミーア【Vida mía】(Tango) (1933)

ボルべラス【Volverás】(Tango)

ジョ・ソイ【Yo soy】(Tango)

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Kotaro Studio
Kotaro Studio『誰かのためにただここに在る』
金田式バランス電流伝送DC録音の遺伝子を受け継ぐ音響エンジニア・音楽プロデューサーの服部 洸太郎が運営する『旧・芸術工房Pinocoa』の『Kotaro Studio』が企画運営しています。
青いタンゴ礁では、『アルゼンチンタンゴのすべて』をテーマにタンゴの歴史やマエストロの紹介、またタンゴを作ってきたアルゼンチンの文化や歴史、さらにはインカ帝国時代まで遡って研究しています。
日本とは正反対にあるアルゼンチンですが、親日国としても知られており、近年日本人の移住者が増加している流れもあり、現地での生活情報なども随時発信中!
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