【1933年】アルゼンチン最初の有声長編映画『Tango』

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アルゼンチン初の長編有声映画が発表されたのは、1933年4月27日。
Cine Real(シネ・レアル)(現在は閉鎖しているが、住所はEsmeralda 425)
制作会社は、アルゼンチンSono Film
映画の名前は・・・「Tango!」(タンゴ!)でした。
ちなみにアメリカで一番最初の長編有声映画はJazzを取り扱ったものだったことに影響されていたのかもしれません。
アルゼンチンではタンゴを取り上げ、当時の各地域でのタンゴとの関わり方や、話し方の特徴、社会の様子をよく表した構成になっており、映画というよりも、ドキュメンタリー色の強い1時間少々の作品となっています。

文学作品もそうですが、やはりこういった大衆映画や作品の中から当時の様子や空気感、雰囲気を掴むことは歴史を学ぶ上では大変重要な要素であると言えます。

日本語であらすじの解説も入れていますので、原語でも楽しめると思います。

約100年前のアルゼンチンの雰囲気を味わってみてください。

Tango

監督
Luis Moglia Barht
脚本Carlos de laPúa(カルロス・デ・ラ・プーア)
役者
Libertad Lamarque(人気俳優)
Tita Merello(人気歌手)
AlbertoGómez(人気歌手)
Pepe Arias(ビクター契約歌手)
ルイス・サンドリーニ(超人気俳優)
演奏
フアン・デ・ディオス・フィリベルトオーケストラ
ペドロ・マフィア
オスバルド・フレセド
フアン・ダリエンソ楽団

¡TANGO! -1933(Youtubeへ)

全体の流れ

1 、Arrabal(郊外)(2分35秒)

家の庭に楽団がきて、ミロンガが行われる。
幼馴染にまだ恋する男と、タンゴで出会った男に惹かれる女。
地元だけに、ご近所さんのつながりや地域のつながりで生活に密着してタンゴが楽しまれていたということが見て取れる。

2、リアチュエロ(港)(12分45秒)

舞台はブエノスアイレスの港リアチュエロ(ボカにあるリアチュエロと呼ばれる港)のバーにて。
1組のカップルの男が他のテーブルの女に声をかけにいく。
取り残された女は、一人退屈そうにしている。
そこへ、その女を忘れられず悲しんでいた元彼がちょうど出くわし、
一人の彼女を発見。側へよる。
寂しさの隙間に入ってきたその男(アルベルト)に、「あなたに悪いことをしたわ。あの時がよかったと気づいの」と女。
そこへ他のテーブルに行っていた男が帰ってきて、怒り出す。
そして女を巡って、ナイフを持った喧嘩が行われる。
元彼が勝ち、彼女は「あああ、なんてことをしてくれたの、でも、ありがとう」とよりが戻る。
怪我をした男は、そこにいたもう一人の見物人に「友達が近くに住んでるから、そこまでついてきて!」頼む。
というコントのような展開。

3、バリオ(町)(23分42秒)

いつも心が戻る場所、バリオ
そこのとあるバーにて。
女性による楽団が演奏している。
カフェとメディアルナを食べている(ブエノスアイレスの特徴の一つ)そして、パンをコーヒーに入れて食べる。
パリにいくことを伝える。
それに対しして、友人は「ガルデルと同じだな!!」と皮肉をいう。

なぜ皮肉になるのでしょうか。
当時脚本家のプアは、ガルデルとは友人関係でした。
この頃ちょうどガルデルは、アメリカでの仕事が決まり、ブエノスアイレスを捨てて、意気揚々とアメリカでの生活を送っていました。
それに対して皮肉を交えてこのセリフを入れているのではないでしょうか。

カルロス・ガルデル(Carlos Gardel, 1890年12月11日? – 1935年6月24日 / 44歳没)

4、 La noche(夜)(42分40秒)

もちろん夜もタンゴ!なのです。
アルベルトの友達のついた嘘(忘れられない恋人Titaからの手紙が届いているよと嘘のハガキを見せられる)を本気に捉え、アルベルトとその嘘をついた友達はパリに向けて出発。
船旅の途中に出会った船の歌手に、忘れられない恋に希望を持って旅をしていると打ち明けるが、その歌手とパリでは共に行動することになります。
一緒にブエノスアイレスに帰ろうよ、と言われてしまう始末。
気の多いアルベルトの友達は、行った先のミロンガで他の女性にも気を取られる。

5、ブエノスアイレスに戻る(1時間5分15秒)

タンゴで仕事をもらえたアルベルト。
船で女性とうまくいい感じになり「今はタンゴが前よりも好きだ、タンゴで君にあったから」という甘い会話の途中に、旧友が駆け寄り、「Titaが前の家に戻ってるねんで!君をいつも待ってるのに!!」と言いアルベルトは「家行こうぜ」とすぐになります。
(そこで船の彼女を思い出し、駆け寄る。)
彼女には「僕の気持ちわかるだろ?!」と簡単に、良い、Titaの元へ。

結局tangoはBarrioに戻ってくる。という結末。

Titaとアルベルトは結ばれ、

Tita「タンゴで得た今までの仕事はどうするの??」

アルベルト「もう全部知った。全部得た。君が足りない」

外国のタンゴは日本人の行進んたいで、退屈だ。との皮肉もあり、Barrioに残るよ。

というエンディングを迎えます。

まとめ

タンゴは、結局のところ自分たちをBarrioに呼び戻し、本当に必要なものは、華やかな場所でもPariでもなく、Barrioにある。

ということが言いたいのではないでしょうか。

映画の全体的な特徴としては、各舞台が変わる度に、白文字で「Barrio」の場所のこと、また説明書きが文字で現れます。

これは、無声映画の名残で、監督たちがまだ完全に音声だけで映画を表現するのに抵抗と不安があり、文字でも書いているのではないか?と研究者は考えています。

脚本家のカルロスデラプア(カルロス・デ・ラ・プーア)は、タンゴのあった社会に生きそのタンゴ社会でのやり取りや、時代の様子を物語としてうまく表現している脚本家です。

さらに国民性がわかる映画

この映画の後、1933年5月19日にルミトン(Lumiton)という制作会社から“ Los Tres Berretines”という映画が公開されます。

この映画の成功により、アルゼンチンの映画業界はLumitonと、Argentina Sono Filmの2大制作会社が活躍していくことになります。

青いタンゴ礁
青いタンゴ礁編集長
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