Osvaldo Peredo

オスバルド・ペレド(Osvaldo J. Peredo, 1930年9月9日 - 2022年1月24日 / 91歳没)

アルゼンチン・タンゴの歌手。

ブエノスアイレス市の伝統的な地区ボエドで生まれました。

17歳から、クラブアトレティコサンロレンソデアルマグロでサッカー選手として活躍していました。
ペレドはその後宝石工場で働き、次に国立気象局に勤めます。
ぺレドはコロンビアのバランキージャサッカークラブからオファーがあるほどの選手でした(この時コロンビアに移住)。
ある日ぺレドはアルゼンチンの伝説的な歌手であるカルロス・ガルデルの音楽と出会い、音楽家:歌手としてののキャリアをスタートさせました。
Kotaro Studio資料室より

音楽のキャリア

コロンビアのサッカークラブを引退後は、カルロス・ガルデルの影響でタンゴ歌手として活動する事を決め、コロンビアのメデジンに移動し、そこで3枚のCDをリリース。

カルロス・ガルデル(Carlos Gardel, 1890年12月11日? – 1935年6月24日 / 44歳没)

その後ベネズエラへ移住後、1960年代(30歳の頃)にアルゼンチンに戻ります。

時はキューバ革命の時代。
ベネズエラやコロンビアは当時『進歩のための同盟(キューバ革命による共産化の防止政策)』などの時代でした。

アルゼンチンに戻ってからは、「自由奔放な歌手」として夜のバーに出没しながら歌い続けまました。

歌手として神出鬼没に活動しながらも、タクシーの運転手、ビルの管理人、本屋などなど、色々な仕事と併用して生活していました。

 

90年代になって、アルマグロの「ロベルトのバー」で歌っている時、他のタンゴ歌手や、タンゴミュージシャンと出会い、周囲からは「こんな歌手がいたのか!」と驚かれたそうです。

そこからオスバルドは、いろんなグループから引っ張りだこ状態に。

古い歌い方のスタイルを伝承しながらも、どんな人とも歌う。

若者の間にも入って、どんな編曲もすんなりと受け入れて、華麗に歌い上げる。

人懐っこいキャラクターが現地のミュージシャン、タンゴファン問わず大人気でした。

最後の彼の作品『El cantor』

彼が亡くなった1月24日、まさに時を同じくして、彼の新しいアルバムの配信が開始されていたそうです。

タイトルは、『El cantor』(歌手)。

プロデューサーは、Javier Sanchez (ハビエル・サンチェス)。

このプロデューサーの新しいタンゴ、ワルツによる一枚で、オスバルドのもつ古典的なスタイル、独自なスタイルで、新しい楽曲を収録することに取り組んでいました。

2018年に発案されたこのアルバム制作案ですが、録音までの過程が長引き、その後パンデミックも続き、かなりの変更を加えての作成になりました。

大編成のオーケストラでの録音を予定していましたが、パンデミックで人が集まれない、また、予算の関係もあり、収録はギターと、ギタロン(バスギター)で行われました。

2021年の12月までこの録音は行われ、録音が終わり、2022年1月音源を確認していた時に、こんなことをつぶやいたそうです。

よし。
素晴らしい録音だ。
これらの作品は、新たな人生を歩んでいくだろう。
彼らに任せた。
私はもう自分から離れて行っているように感じる。

Osvaldo Peredoのコメント(当サイト翻訳)

そんな彼の最後の作品の中から一曲がYoutubeにて試聴できます。

"Calle Rincón" por Osvaldo Peredo(Youtubeに移動)

作品の全編はこちら。

その他のアルバム

Follow me!

Kotaro Studio
Kotaro Studio『誰かのためにただここに在る』
金田式バランス電流伝送DC録音の遺伝子を受け継ぐ音響エンジニア・音楽プロデューサーの服部 洸太郎が運営する『旧・芸術工房Pinocoa』の『Kotaro Studio』が企画運営しています。
青いタンゴ礁では、『アルゼンチンタンゴのすべて』をテーマにタンゴの歴史やマエストロの紹介、またタンゴを作ってきたアルゼンチンの文化や歴史、さらにはインカ帝国時代まで遡って研究しています。
日本とは正反対にあるアルゼンチンですが、親日国としても知られており、近年日本人の移住者が増加している流れもあり、現地での生活情報なども随時発信中!
2021年より完全移住したタンゴピアニストの大長 志野が現地スタッフの日常カテゴリーにてお届けしております。
アルゼンチンタンゴが好きな方、タンゴ音楽に興味のある方、また将来中期〜長期に渡って移住してみたい方は是非是非ブックマークよろしくお願いします。