タンゴの巨匠たち

Osvaldo Pugliese

Osvaldo Pugliese
目次
  1. 親日マエストロ
  2. 愛され続けるピアニスト
  3. プグリエーセを聴き始めるならこの3曲

オスバルド・プグリエーセ(Osvaldo Pugliese, 1905年12月2日 ‐ 1995年7月25日 / 89歳没)

アルゼンチン・タンゴのピアニスト。

“ジュンバ”と表記される独特のリズムスタイルの生みの親です。

タンゴ演奏家の父をもつプグリエーセは、15歳でピアニストとしてデビューしました。
プグリエーセは、フリオ・デ・カロの影響を強く受けたと言われています。
プグリエーセが自身の楽団を結成しデビューしたのは1939年、33歳のときでした。

親日マエストロ

プグリエーセ楽団は、3回日本を訪れ公演しています。

1回目は1965年(昭和40年)。

昭和40年といえば、名神高速道路が全線開通した年。
音楽界では12月29日に日本が誇る音楽家:山田耕筰氏が亡くなりました。

2回目は1979年(昭和54年)。

「チケ」「マーラ・フンタ」「レクエルド」などがFM放送でオンエアーされました。

昭和54年といえば『3年B組金八先生』の放送が開始された年。
音楽界は他のジャンルも来日公演をたくさんおこなっており、クイーン, イーグルス, エリック・クラプトン, ビリー・ジョエル, サンタナ, ボブ・マーリー, マーヴィン・ゲイ, ミッシェル・ポルナレフ, ロッド・スチュワート, リンダ・ロンシュタット, ドナ・サマーなど、様々なアーティストが来日公演を行いました。

3回目は1989年(昭和64年 / 平成元年)。

この年、流行語大賞として、「セクシャルハラスメント」、「オバタリアン」が金賞を受賞しました。
任天堂が初代ゲームボーイを発売した年でした。

愛され続けるピアニスト

プグリエーセはビシャ・クレスポに住んでいたことから、彼の銅像がビシャ・クレスポの中心的な大通りの交差点に設置されています。

編集部撮影

度々メガネが盗まれたり、楽器がなくなったりしてしまいます。

愛情表現の方法に問題がありますが、ブエノスアイレスの人たちに愛されていたのかがわかりますね。

作曲リスト

ア・ロス・アルティスタス・プラスティコス【A los artistas plásticos】( Tango)

アディオス・バルディ【Adiós Bardi】(Tango)

アンドレス・セルパ【Andrés Selpa】(Tango)

アウセンシア(タンゴ・ミーオ)【Ausencia (Tango mío)】(Tango) (1931)

バーロ【Barro】(Tango)

カルド・イ・マルボン【Cardo y malvón】(Tango)

コラソネアンド【Corazoneando】(Tango)

ドン・アティリオ【Don Atilio】(Tango)

エル・エンコパオ【El encopao】(Tango) (1942)

エル・フレノパティコ【El frenopático】(Tango)

エル・ハポンガ【El japanga】(Tango)

エル・ネグロ・カンバンバ【El negro cambambá】(Milonga candombe)

エルモッサ・ハポネシータ【Hermosa japonesita】(Tango) (1982)

オイ・ポル・オイ【Hoy por hoy】(Tango) (1989)

イグアル・ケ・ウナ・ソンブラ【Igual que una sombra】(Tango) (1946)

ラ・ベバ【La beba】(Tango)

ラ・ビアンデュンガ【La biandunga】(Tango)

ラ・バキータ【La vaquita】(Milonga)

ラ・ジュンバ【La yumba】(Tango)

ラ・ジュンバ/アディオス・ノニーノ【La yumba/Adiós Nonino】(Tango)

ラス・マリオネタス【Las marionetas】(Tango)

シェガステ・コン・トゥス・アレグリーアス【Llegaste con tus alegrías 】(Tango) (1959)

マドゥルガーダス・ビエン・テンプラーノ【Madrugados bien temprano】(Tango)

マランドゥラカ【Malandraca】(Tango)

マルガ(ウン・ペンサミエント)【Marga (Un pensamiento)】(Vals)

ミロンガ・パラ・フィデル【Milonga para Fidel】(Milonga) (1961)

ムチャチータ・デル・アマネセール【Muchachita del amanecer】(Tango) (1961)

ナビダッド【Navidad】(Vals)

ネグラーチャ【Negracha】(Tango)

ノー・フゲス・ア・ラ・ゲラ【No juegues a la guerra 】(Tango)

ノーチェ・デ・マジョ【Noche de mayo】(Vals)

パ・ロス・メディコス【Pa’ los medicos 】(Tango)

パラ・エデュアルド・アローラス【Para Eduardo Arolas 】(Tango)

プリメーラ・カテゴリーア【Primera categoría】(Tango)

プロトコレアンド【Protocoleando】(Tango)

レシエン【Recién】(Tango )(1943)

レクエルド【Recuerdo】(Tango) (1924)

レトニョス【Retoños】(Tango)

セ・ビエネ・エル・ドス・ミル【Se viene el dos mil】(Tango) (1988)

センティール・ケ・エスタモス・フントス【Sentir que estamos juntos】(Tango) (1981)

ウナ・ベス【Una vez 】(Tango )(1946)

ビエホ・バリオ・ポリグリーショ【Viejo barrio poligrillo】(Tango) (1980)

ジョ・パジャドール【Yo payador】(Tango) (1976)

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編集部撮影の写真

プグリエーセを聴き始めるならこの3曲

  • ラ・ジュンバ: 地を這うリズムの代名詞。楽団の合言葉にもなった代表作です
  • レクエルド: 20歳のときの出世作。今も世界中の楽団が演奏します
  • ガジョ・シエゴ: アグスティン・バルディ 作品の決定的な演奏です
オスバルド・プグリエーセはどんな音楽家ですか

1905年ブエノスアイレスのビジャ・クレスポ生まれのピアニスト・楽団指揮者です。ラ・ジュンバに代表される地を這うようなリズムと劇的な様式で、踊り手からも聴き手からも別格の敬意を集めました。

プグリエーセは日本に来たことがありますか

あります。1965年、1979年、1989年と3回の来日公演を行い、日本のタンゴファンに深く記憶されています。

ミロンガで「プグリエーセのタンダ」が特別なのはなぜですか

劇的で濃密な様式のため、多くのミロンガでは夜の後半の山場としてプグリエーセがかけられます。踊り手にとって特別な時間の合図です。

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