Carlos Di Sarli

カルロス・ディ・サルリ(Carlos Di Sarli、1903年1月7日 – 1960年1月12日 / 57歳没)
アルゼンチン・タンゴのピアニスト。
ファン・ダリエンソと並び『タンゴ新古典派2大マエストロ』と称されています。
ファン・ダリエンソ(Juan D’Arienzo、1900年12月14日 – 1976年1月14日 / 75歳没)
ディ・サルリは、アルゼンチン南部の港町バイア・ブランカでイタリア系移民(イタリア系アルゼンチン人)の子として生ました。
音楽に理解ある家庭に生まれ育ち、子どもの頃からピアノを学べる環境にありました。
しかし、子ども時代に銃の暴発で、目の周辺を傷つけ、以降はサングラスをするようになったといわれています。
音楽に理解ある家庭に生まれ育ち、子どもの頃からピアノを学べる環境にありました。
しかし、子ども時代に銃の暴発で、目の周辺を傷つけ、以降はサングラスをするようになったといわれています。

20歳でブエノスアイレスに移住
25歳の頃に自身の六重奏団を結成します。
ディ・サルリの演奏スタイルは1940年頃に確立したと言われていますが、最も大きな影響を受けたのがオスバルド・フレセドであると言われています。
オスバルド・フレセド(Osvaldo Fresedo, 1897年3月5日 – 1984年11月18日 / 87歳没)
1951年には、ヘスス・ベントゥーラが1920年に作曲した『大きな人形」(A la gran muñeca)』という曲をディ・サルリは新しい解釈の元でアレンジ、演奏したものが大ヒットとなり、今でも世界中でタンゴの人気ナンバーとして浸透しています。
楽団の解体
人気絶頂の1956年に楽団員の大半が脱退。
その後『ロス・セニョーレス・デル・タンゴ』というグループを結成。
楽団員による楽団脱退や、メンバーで結束しての乗っ取りは実はよくある話。
有名なところだとファン・ダリエンソ楽団も同じようなことが起こっています。
ディ・サルリの曲でも「バイア・ブランカ」「コラソン」「ミロンゲーロ・ビエホ」などが特に有名です。
代表曲リスト

ディ・サルリを聴き始めるならこの3曲
- バイア・ブランカ: 故郷に捧げた自作の代表曲です
- ア・ラ・グラン・ムニェカ: 絹のような弦の歌いまわしの見本です
- オルガニート・デ・ラ・タルデ: 静かな夕暮れの詩情が宿る演奏です
カルロス・ディ・サルリはどんな音楽家ですか
1903年バイア・ブランカ生まれのピアニスト・楽団指揮者で、エル・セニョール・デル・タンゴ (タンゴの貴公子) と呼ばれました。歌うような弦とピアノの間で踊り手を包む様式は、今もミロンガで最も愛されています。
ディ・サルリの代表曲はどれですか
自作ではバイア・ブランカが最も有名です。演奏ではア・ラ・グラン・ムニェカ、ミロンゲーロ・ビエホなどが定番です。