Juan D'Arienzo

ファン・ダリエンソ(Juan D'Arienzo、1900年12月14日 - 1976年1月14日 / 75歳没)

アルゼンチン・タンゴのバイオリン奏者、オルケスタ・ティピカ(タンゴにおける典型的な編成の楽団)の指揮者です。

「El rey del compás[1]」(リズムの王様)と呼ばれていました。

1900年にブエノスアイレスのバルバネーラ(barrio)で誕生。
8歳の頃からバイオリンを習い始め、13歳でプロとして活動をしていたと言われています。
20歳代では劇場オーケストラやジャズ・バンドなど演奏。
1928年には独立し、Electraと契約、自身のオルケスタ(楽団)を組織しました。
オルケスタ結成当時はあまり人気がありませんでしたが、近年再評価する動きが活発です。
引用:Wikipedia

1930年代〜

1929年のウォール街を起点とする世界大恐慌の時代。

その波がアルゼンチンにも到来していたころ、タンゴの勢いは少しずつ弱まっていき、ジャズ音楽が徐々に流行り始めます。

フリオ・デ・カロもこの時代積極的にジャズのニュアンスを取り入れたアレンジを試みていました。

フリオ・デ・カロ(Julio De Caro, 1899年12月11日 -1980年5月11日 / 80歳没 )

ダリエンソはそんな中でもタンゴのリズムに徹底的にこだわり、強化していく方針を取ります。

リズムを強化していくスタイルから「電撃のリズム」と称賛され、ダリエンソは「El rey del compás」(リズムの王様)という異名で呼ばれていました。

20年代とは一変、大人気タンゴアーティストとなっていました。

この頃から映画にも出演していたりとブエノスアイレスのエンタメ業界全体で活躍していきます。

ダリエンソ出演映画
・Melodías porteñas (1937)
・Yo quiero ser bataclana (1941)
・El cantor del pueblo (1948)
・La voz de mi ciudad (1953)
・Una ventana al éxito (1966)

全メンバーが脱退

1938年7月にピアニストのビアジが独立のためファン・ポリートに交代してからはバンド内部でのメンバー同士の対立も絶えず起こっており、1940年代に入り、ついに楽団マスターのダリエンソ以外メンバー全員が脱退する事態にまで発展しました。

ダリエンソの世話係をしていたファン・ポリートもいなくなってしまい、エクトル・バレラ楽団をまるまるダリエンソ楽団に入れ替えるという珍事件も発生しました。

そこで新たに当時19歳だったフルビオ・サラマンカを迎え、1940年4月から再出発することになりました。

第二期ダリエンソ黄金期以降

サラマンカが定着した1950年代初頭が、ダリエンソ楽団の第2期黄金期とされています。

1957年、サラマンカの独立により、再び第1期黄金期のファン・ポリートがピアニストとして復帰。

復帰したファン・ポリート は楽団の最期まで付き添うことになります。

ダリエンソ楽団の人気は素晴らしく、レコードも飛ぶように売れていきました。

1951年9月12日の「ラ・クンパルシータ」はDJ Balázsが「アルゼンチン・タンゴ全史の極めつけの一曲」として讃えたほどダリエンソ・スタイルの頂点に位置する傑作中の傑作テイクと言われています。

公式統計ではありませんが、この時期までにダリエンソ楽団は全世界でSPとLPを合わせて1000万枚のディスクを売ったとも言われており、まさにタンゴの王として君臨しました。

ダリエンソ不在の日本公演

1968年には、ダリエンソ楽団日本公演を行いました。

しかし、飛行機嫌いだった指揮者ダリエンソ自身は来日しようとせず、船舶も拒否・・・

ファン・ポリートを含むメンバーだけの来日公演となりました。

昭和43年。
佐藤栄作総理大臣のこの時代オリコンランキングが開始されました。
他にもボンカレーや出前一丁など現代でも愛される昭和を代表するレトルト食品も初めて発売されました。
文学界では川端康成が日本人初のノーベル文学賞受賞。
そして未解決事件として有名な3億円事件はこの年に起こっています。

ダリエンソの特徴

ダリエンソは当時のアルゼンチン人としては珍しく、音の間違いや読譜ミスを徹底的に嫌うタイプでした。

独特の演奏方法で、フォルティッシモのスタッカートからいきなりピアニッシモに行くときなどに、音をかすかに残す楽団が多い中、ダリエンソはまったく音を聴かせませんでした。

まったく演奏せず、音が存在していないにもかかわらず、まるでリズムを刻んでいるような感覚になるので、「音無しのリズム」と呼ばれています。

Loca-Juan Darienzo(Youtubeで試聴)

流れを見ると、気難しい人物にも見えますが、エンターテインメント性はさすが世界で1000万枚を売り上げただけありますね!

作曲リスト

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Kotaro Studio
Kotaro Studio『誰かのためにただここに在る』
金田式バランス電流伝送DC録音の遺伝子を受け継ぐ音響エンジニア・音楽プロデューサーの服部 洸太郎が運営する『旧・芸術工房Pinocoa』の『Kotaro Studio』が企画運営しています。
青いタンゴ礁では、『アルゼンチンタンゴのすべて』をテーマにタンゴの歴史やマエストロの紹介、またタンゴを作ってきたアルゼンチンの文化や歴史、さらにはインカ帝国時代まで遡って研究しています。
日本とは正反対にあるアルゼンチンですが、親日国としても知られており、近年日本人の移住者が増加している流れもあり、現地での生活情報なども随時発信中!
2021年より完全移住したタンゴピアニストの大長 志野が現地スタッフの日常カテゴリーにてお届けしております。
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