日本で最初にタンゴが放送されたのはいつ?

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この記事を担当:こうたろう

1986年生まれ
音大卒業後日本、スウェーデン、ドイツにて音楽活動
その後金田式DC録音のスタジオに弟子入り
独立後芸術工房Pinocoaを結成しアルゼンチンタンゴ音楽を専門にプロデュース
その後写真・映像スタジオで音響担当を経験し、写真を学ぶ
現在はヒーリングサウンド専門のピアニスト、音響エンジニア、フォトグラファーなどフリーランスのマルチメディアクリエーターとして活動中
当記事ではアルゼンチンタンゴを知るためのコアな知識を考察していきます

日本タンゴの重鎮たち

この時に組織されたオルケスタ・ティピカ・ラジオ・トーキョーというバンドが結成されました。

このオルケスタ・ティピカ・ラジオ・トーキョーは後の日本タンゴ史の発展になくてはならない演奏家やプロデューサーが多数在籍しており、本格的なタンゴ音楽のはじまりといっても過言ではありません。

バンドネオンの早川真平、ピアノの刀根研二、ベースは見砂直照(後にタンゴ楽団『クラルテ』を結成)、バイオリンの原孝太郎(後にタンゴ楽団『東京六重奏団』結成)。

残念ながらリーダーの高橋忠雄が体調を崩したことによりわずか8ヶ月の番組でした。

その後の番組

1947年にはダンスホールや、クラブからタンゴバンドのライブを中継する『ダンス・タイム』(毎週土曜の夜)

1947年『中南米音楽の時間』と題してタンゴのレコードを紹介する番組。(毎週土曜の朝)

1948年『ラテンアメリカ音楽の時間』こちらもレコードを紹介する番組。(毎週土曜の夕方)

この中でも重鎮高橋忠雄の企画で生まれたラテンアメリカ音楽の時間は人気番組となり、その後5年続きました。

民間放送開始

1950年代からはこれまでNHKの独占配信だったタンゴ音楽が民間からも放送されるようになります。

現TBSとなるラジオ東京では、開局と同時にタンゴの帯番組をスタート。

ポルテニヤ音楽という番組で夕方25分の放送となりました。

バンドネオン奏者の坂本政一のバンド『坂本政一室内楽団』は毎回公開録音となっていましたが、無料で生バンドが聴けると言うことで毎回スタジオの定員の何倍もの観覧応募があったそうです。

1952年には文化放送が開局しました。

文化放送でも当時のタンゴ人気を見込んで『バースデー・コンサート』という番組が始まります。(毎週火曜日夜7時半から30分)

早川真平率いるオルケスタ・ティピカ東京と専属歌手の藤沢嵐子の生バンドでした。

放送日に誕生日の人を優先的にスタジオに招待し抽選で豪華なバースデープレゼントを贈るといった趣旨の番組のため、当時特にタンゴファンではない層にも人気で、タンゴが一般的に広まるきっかけともなりました。

1955年時点ではタンゴ楽団は全国に46も登録されており、そのうちオルケスタ・ティピカを名乗る楽団は12個もありました。

DJスタイルの番組

NHKは他の曲にさきがけて1953年『ぼくのアルバム』というDJスタイルの音楽番組を開始。

タンゴだけではなく、ラテン音楽やジャズ、ハワイアン、カントリーといった日本以外の様々な音楽をそれぞれのジャンルの評論家と一緒に紹介していました。

1955年に始まった文化放送の『これがタンゴだ!』もDJスタイルの番組。

現在のシニア世代もこの番組がきっかけでタンゴに興味を持ったというファンが多い番組です。