オベリスコに関する3つの雑学
本日はそんなブエノスアイレスのオベリスコに関する3つの雑学をお届け!
この記事を読むだけでオベリスコを見る目が一味も二味も変わるかも?しれません。
1、実は名前がオベリスク
アルゼンチンではオベリスコという名前で親しまれていますが、実は正式名称はオベリスク。
正式名称というのはどういうことかといいますと、オベリスクという存在自体が、古代エジプトを起源とした太陽信仰の象徴を建造物として表現したものの総称となっています。
日本語では方尖柱(ほうせんちゅう)という翻訳が適用されており、地元では太陽柱(架空の名前)と呼んでるといったニュアンスとなり、別に間違いでもありませんが、起源となっているのはオベリスクというわけなんです。
2、コンドームを被せられたことがある
1936年5月にブエノスアイレスが開かれた400年記念に建設されたオベリスコですが、2005年の世界エイズデーではエイズと人類の闘いを表すために、ピンク色のコンドームが被せられたことがあるんです。
高さは220フィート(67m)ですので、なかなかヘビーなチャレンジとなりました。

3、オベリスクは南米に3本ある
古代エジプトが起源のオベリスクですが、現存する古代エジプト由来のオベリスクは30本しか残っていません。
13本がローマに、7本がエジプトにあります。
ブエノスアイレスのものは近代オベリスク様式の建造物となります。
同じようなオベリスク様式の建造物は世界各地に点在しており、南米だとベネズエラのフランシア広場と、ブラジルのObelisk of São Pauloの3本となっています。
まとめ
ブエノスアイレスのオベリスコはまさに象徴となっており、新年のお祝いに花火が上がったりします。
こちらは2020年のニューイヤーの様子です。
デザイナー:アルベルト・プレビッシュ
建設デザインはドイツ系移民の子孫で建築家のアルベルト・プレビッシュによって設計されました。

Alberto Prebisch(1899年2月1日~1970年10月13日(71歳没))
ブエノスアイレス大学で建築を学び、1921年卒業後パリに留学しています。
他にも多くの建築物をデザインしており、アルゼンチンがかつて『南米のパリ』と呼ばれた時期の美しい風景の数々を演出する担い手となっていたことでしょう。
実際にオベリスコ以外にも1937年7月8日にオープンの映画館テアトログランレックスなど有名な建築物も多数設計しています。
1955年には母校となるブエノスアイレス大学の建築学部長に任命されました。
1962年から1年間はブエノスアイレスの暫定市長も務めています。
1970年には国立美術アカデミーのディレクターに任命されましたが、その数か月後に 71 歳で亡くなりました。
お兄さんはアルゼンチンでも有名な経済学者のラウル・プレビッシュ氏。

- 『誰かのためにただここに在る』
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金田式バランス電流伝送DC録音の遺伝子を受け継ぐ音響エンジニア・音楽プロデューサーの服部 洸太郎が運営する『旧・芸術工房Pinocoa』の『Kotaro Studio』が企画運営しています。
青いタンゴ礁では、『アルゼンチンタンゴのすべて』をテーマにタンゴの歴史やマエストロの紹介、またタンゴを作ってきたアルゼンチンの文化や歴史、さらにはインカ帝国時代まで遡って研究しています。
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