Julio De Caro
フリオ・デ・カロ(Julio De Caro, 1899年12月11日 -1980年5月11日 / 80歳没 )
アルゼンチン・タンゴの作曲家、バイオリニストでフリオデカロ楽団代表です。
デ・カロが姓になります。
クラシック音楽院の教授の家で生まれ英才教育でバイオリンを習得した音楽エリート。
1916年にはエドゥアルド・アローラス楽団に入団。
その後、オスバルド・フレセド楽団を経て、ファン・カルロス・コビアン楽団(有名なバンドネオン奏者ペドロ・マフィアが在籍中)に入団。

フリオ・デ・カロ楽団の誕生
1924年に当時所属していたファン・カルロス・ゴビアン楽団の代表兼ピアニストであるファン・カルロス・ゴビアンがニューヨークに移住。
その流れでフリオ・デ・カロ楽団を引き継ぎ、メンバーが入れ替わり、フリオ・デ・カロ六重奏団となりました。
バンドネオンのペドロ・マフィアは1926年に退団。
代わりにバンドネオン奏者のペドロ・ラウレンスを迎え、フリオ・デ・カロ楽団は勢いを増していきました。
ジャズ音楽
1930年代には、アルゼンチンでもジャズが流行り始めます。
フリオ・デ・カロ楽団もドラムや木管楽器などを導入した『オルケスタ・メロディカ・インテルナシオナル』 (Orquesta Melódica Internacional) という編成で、ジャズ風のアレンジも行う実験的なアプローチを試みていますが、聴衆からの評判はあまりよくありませんでした。
オラシオ・サルガン(Horacio Salgán, 1916年6月15日 – 2016年8月19日 / 100歳没)
アストル・ピアソラ(Astor Piazzolla, 1921年3月11日 – 1992年7月4日 / 71歳没)
引退後
1954年に引退しました。
タンゴ界では『デカリスモ』 (decarismo) 、「デ・カロ的な」という言葉を残しました。
デ・カロの引退後はダンスとの切り離しも進んだタンゴ音楽でしたが、踊るためのダンスタンゴとしての性能を失うことなく常に新しいアプローチで作編曲に取り組み、成功したフリオ・デ・カロ。
彼がタンゴ界に残したものはdecarismoだけではないことはタンゴファンなら誰もが知る功績である。
作曲リスト

- 『誰かのためにただここに在る』
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金田式バランス電流伝送DC録音の遺伝子を受け継ぐ音響エンジニア・音楽プロデューサーの服部 洸太郎が運営する『旧・芸術工房Pinocoa』の『Kotaro Studio』が企画運営しています。
青いタンゴ礁では、『アルゼンチンタンゴのすべて』をテーマにタンゴの歴史やマエストロの紹介、またタンゴを作ってきたアルゼンチンの文化や歴史、さらにはインカ帝国時代まで遡って研究しています。
日本とは正反対にあるアルゼンチンですが、親日国としても知られており、近年日本人の移住者が増加している流れもあり、現地での生活情報なども随時発信中!
2021年より完全移住したタンゴピアニストの大長 志野が現地スタッフの日常カテゴリーにてお届けしております。
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