歴史と文化

フアン・ペロンとペロニズムとは|アルゼンチンを80年動かし続ける政治の正体

目次
  1. ペロンの登場: 1945年10月17日
  2. 第一次政権 (1946-1955): 栄光と転落
  3. 帰還と死 (1973-1974)
  4. ペロニズムとは何か
  5. ブエノスアイレスでペロンの時代をたどる
  6. よくある質問

フアン・ペロンとペロニズムとは

フアン・ドミンゴ・ペロンは、1946年から1955年、そして1973年から1974年まで大統領を務めた、アルゼンチン現代史で最も重要な政治家です。彼が生んだ政治運動「ペロニズム」は、本人の死から半世紀を経た今もアルゼンチン政治の中心にあり続けています。アルゼンチンの選挙は今日でも、事実上「ペロニズム対反ペロニズム」の構図で語られます。

なぜ一人の軍人が、80年も続く政治の潮流になったのか。この記事では、ペロンの生涯とペロニズムの正体を解説します。

ペロンの登場: 1945年10月17日

ペロンは1895年生まれの陸軍軍人です。1943年の軍事クーデター後、注目されていなかった労働庁長官のポストに就くと、労働組合と組んで最低賃金、有給休暇、退職金といった労働者保護を次々に実現し、瞬く間に労働者の英雄になりました。

力を持ちすぎたペロンは1945年10月、軍内部の反発で逮捕されます。しかしその1週間後、数十万の労働者が首都に集まり、釈放を要求しました。軍は屈し、ペロンはその夜、大統領府のバルコニーから群衆に語りかけます。この1945年10月17日は「忠誠の日」と呼ばれ、ペロニズムの誕生日とされています。この直後にペロンは女優エバ・ドゥアルテ、のちの エビータ と結婚し、翌1946年の大統領選挙に勝利しました。

第一次政権 (1946-1955): 栄光と転落

政権前半のペロンは、戦後の好景気を背景に、鉄道の国有化、工業化、労働者の生活水準の劇的な引き上げを進めました。エビータが貧困層への直接支援と女性参政権を担い、夫妻はアルゼンチン史上例のない大衆的人気を築きます。ちょうど タンゴの黄金時代 と重なる、都市の労働者文化が最も輝いた時代でした。

しかし1950年代に入ると経済は失速し、1952年にエビータが亡くなると求心力にも陰りが見えます。カトリック教会との対立が深まった1955年、軍のクーデター「解放者革命」でペロンは追放され、18年間の亡命生活が始まりました。ペロニズムは非合法化され、ペロンの名を口にすることさえ禁じられます。しかし弾圧は労働者の忠誠を強めるだけでした。

帰還と死 (1973-1974)

亡命先のマドリードからペロンは影響力を保ち続け、1973年、78歳で帰国して三たび大統領に選ばれます。しかしこの時代のペロニズムは、左派ゲリラから右派の暗殺部隊までを抱え込む矛盾の塊になっていました。帰国の日に出迎えの群衆の中で左右両派が銃撃戦を起こし、多数の死者が出たエセイサの虐殺は、その矛盾の象徴です。

1974年7月1日、ペロンは在任のまま亡くなり、副大統領だった三人目の妻イサベル・ペロンが世界初の女性大統領として後を継ぎました。しかし経済崩壊と政治暴力を制御できず、1976年の軍事クーデターで政権は倒れます。その後にアルゼンチンを襲った暗黒については 軍事政権と汚い戦争 で解説しています。

ペロニズムとは何か

ペロニズムの公式名称は「正義主義 (フスティシアリスモ)」です。ペロン自身は、社会正義、経済的独立、政治的主権の3つを旗印に掲げました。しかし実態は、左派政権も右派政権も自称できるほど幅の広い運動です。

外から見て分かりにくいのはこのためですが、核にあるものは一貫しています。

  • 労働者と庶民の側に立つという物語: ペロニズムの正統性は理論ではなく、1945年10月17日の記憶に根ざしています
  • 強い指導者と大衆の直接の絆: 政党組織よりも、指導者が広場の群衆に直接語りかける関係が重視されます
  • 労働組合という背骨: ペロン以来、巨大な労働総同盟 (CGT) がペロニズムの動員力を支えてきました

1989年からのメネム、2003年からのキルチネル夫妻など、ペロン後の大統領の多くもペロニストです。近年の政治も、ペロニズムへの支持と反発を軸に振り子のように動いており、この構図を知っているだけでアルゼンチンのニュースの解像度が一段上がります。ペロニズムの経済運営が残した通貨と物価の問題は 経済危機とデフォルトの歴史 で扱っています。

ブエノスアイレスでペロンの時代をたどる

  • 五月広場とカサ・ロサーダ: 忠誠の日の群衆が埋めた広場と、ペロン夫妻が演説したバルコニーです
  • CGT本部: エビータの遺体が最初に安置された労働総同盟の建物です
  • チャカリータ墓地: ペロンの墓所があります。エビータの眠るレコレータ墓地とは別の墓地です

よくある質問

フアン・ペロンとは何をした人ですか

労働者保護で大衆的人気を得て1946年に大統領となり、鉄道国有化や労働者の生活向上を進めたアルゼンチンの政治家です。1955年に追放されますが1973年に帰国して三たび大統領になり、翌年在任のまま亡くなりました。

ペロニズムとは何ですか簡単に教えてください

ペロンが生んだ「労働者と庶民の側に立つ」ことを掲げる政治運動です。左派から右派まで含む幅広さが特徴で、労働組合を支持基盤とし、現在までアルゼンチン政治の最大勢力であり続けています。

ペロンとエビータの関係を教えてください

エビータことエバ・ペロンは2人目の妻です。1945年に結婚し、大統領夫人として貧困層支援と女性参政権の実現を担い、夫妻でペロニズムの黄金期を築きましたが、1952年に33歳で亡くなりました。

イサベル・ペロンとは誰ですか

ペロンの3人目の妻で、1974年のペロンの死を受けて世界初の女性大統領になった人物です。1976年の軍事クーデターで政権を追われました。

ペロニズムは今も続いていますか

続いています。メネム、キルチネル夫妻などペロン後の大統領の多くがペロニストで、現在の選挙も事実上ペロニズム対反ペロニズムの構図で動いています。

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