Jose Pepe Colangelo
ホセ・ぺぺ・コランジェロ(Jose Pepe Colangelo, 1940年10月22日 生まれ)
アルゼンチン・タンゴのピアニスト。
1955年15歳の頃、アルベルト・ダビラ率いるオーケストラのピアニストとしてアルゼンチンのラジオ番組でデビューします。
音楽キャリア
1956年には、カーニバルの数々で「ヌエバス・エストレージャス・デ・タンゴ」(タンゴの新しい星)というグループに参加。
1957年「ヌエバス・エストレージャス・デ・タンゴ」は、アンヘル・ヘンタのオーケストラと共にラジオ・スプレンディドでデビューします。
1960年~62年にかけて、「アンヘル・ドミンゲス」、「ロレンソ・バルベロ」、「エミリオ・オーランド」のオーケストラに所属。
この時期のアルゼンチンは暴力と衝突の時代(1955年-1966年)と呼ばれていて、かなり大変な時代でした。
他にもラジオ「エル・ムンド」ではエンリケ・アレッシオの楽団に所属しています。
なんとそこではホセ・ベロンが歌っていました。
様々なグループに参加することにより、彼のテクニックと感性、独自のスタイルはより一層洗練されていくことになります。
優れたパフォーマーとして際立つ転機となったのは、「フリオ・ソーサ」と一緒に、「レオポルド・フェデリコ」が彼をピアニストとして楽団に招き入れた1962年の事でした。
彼らとの定期的な共演は「フリオ・ソーサ」がなくなる1964年11月まで続き、彼の人生では忘れられない大切な出来事の一つとなりました。
フリオ・ソーサの死を機にレオポルドフェデリコは再びパフォーマンスを再開します。
この時もピアノにはコランジェロを起用しています。
歌手「ロベルト・アヤラ」と「カルロス・ガリ」も加わり、Colángeloはこのグループで2年間演奏を続けることになりました。
レオポルド・フェデリコのオーケストラで、演奏家としての質が高い仲間たちから強い影響を受けたことを、彼自身も自覚しています。
オスヴァルド・モンテス
フアン・ホセ・モサリーニ
ロマン・アリアス
マウリシオ・ミセ
ロベルト・ロタ
エミリオ・ゴンサレス
アルベルト・デル・モナコ
などなど
トロイロ楽団への加入
その後の最大の転機となったのは、「オスバルド・ベリンジェリ」の代理でアニバル・トロイロ楽団のピアニストを務めたことでした。
アニバル・トロイロ(Aníbal Troilo, 1914年7月11日 – 1975年5月18日60歳没)
私にコインを求めて、その代わりに、手作りのスイス製のスカーフをくれました。
公演の最後に、聴衆の誰かが私に挨拶するために私に近づきこう言いました。
「私たちは前任者(オスバルド・ベリンジェリ)の方が好きだ!」と。
そのことをマエストロ(トロイロ)に伝えると、彼は私にこう言いました。
【あなた(usted)】は私を失望させることはできませんよ。」と言いました。
トロイロの言葉の文頭のPibeが子供に向けて使う言葉に対し、そのあとustedと(丁寧に相手を表現する)が使われているところが、面白いポイントになっています!
その3日後のこと、サン・マルティン劇場でトロイロ楽団のリサイタルが行われます。
それがコロンジェロにとっての、人生最大の試験のようなものになりました。
リサイタルでは12の器楽曲を演奏し、トロイロはコランジェロに自由にソロを演奏する機会をたくさん与えました。
その後最後までトロイロ楽団のピアニストを務めあげたコランジェロ。
テレビ局は、トロイロがなくなってすぐに(1975年)彼の追悼番組を行いました。
その際、最後までピアニストを務めたコランジェロは聴衆に向かってこう言います。
「非常に大きな太陽が消えたと思います。どうか、彼の友人、同僚、そして崇拝者であった者たちの中に、その散乱光線が残っていますように。」
自身の楽団
1971年には、レコーディング企画の為に4重奏を結成します。
メンバーは
- ネストル・マルコーニ (Nestor Marconi)
- オマール・ムルタグ(Omar Murtagh)
- アニバル・アリアス(Aníbal Arias)
その録音は、大変長時間に及んだといいます。
このレコーディングのアルバムはレコード化されていますが、CDとしてデジタルリマスターなどはされていません。
1979年には自身の最初のオーケストラを結成しました。
- リサンドロ・アドローベル(バンドネオン)
- アントニオ・プリンシペ(バンドネオン)
- ウーゴ・バラリス(バイオリン)
- アルベルト・デル・バグノ(バイオリン)
- マリオ・アルセ(バイオリン)
- エクトル・コンソール(コントラバス)(場合によってはエンリケ・ランノーがチェロに参加)

代表曲や主なレパートリー

- 『誰かのためにただここに在る』
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金田式バランス電流伝送DC録音の遺伝子を受け継ぐ音響エンジニア・音楽プロデューサーの服部 洸太郎が運営する『旧・芸術工房Pinocoa』の『Kotaro Studio』が企画運営しています。
青いタンゴ礁では、『アルゼンチンタンゴのすべて』をテーマにタンゴの歴史やマエストロの紹介、またタンゴを作ってきたアルゼンチンの文化や歴史、さらにはインカ帝国時代まで遡って研究しています。
日本とは正反対にあるアルゼンチンですが、親日国としても知られており、近年日本人の移住者が増加している流れもあり、現地での生活情報なども随時発信中!
2021年より完全移住したタンゴピアニストの大長 志野が現地スタッフの日常カテゴリーにてお届けしております。
アルゼンチンタンゴが好きな方、タンゴ音楽に興味のある方、また将来中期〜長期に渡って移住してみたい方は是非是非ブックマークよろしくお願いします。
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