Roberto Álvarez
ロベルト・アルバレス(Roberto Álvarez, 1940年5月7日生まれ)
アルゼンチン・タンゴのバンドネオン奏者。
創業以来、途切れることなく、世界中で最も重要なタンゴショーやフェスティバルに出演し、また数多くの賞を受賞しています。
主なレパートリー
レパートリーは、ロベルト・アルバレス自身の作曲と編曲を中心とし、巨匠オスバルド・プグリーセの曲などで構成されています。
オスバルド・プグリエーセ(Osvaldo Pugliese, 1905年12月2日 ‐ 1995年7月25日 / 89歳没)
リリースされた11作のColor Tango CDは、世界中のすべてのミロンガで聴かれ、踊られています。
北米、ヨーロッパ、アジアの国々で特別版も作られています。
世界的トップダンサーたちが、数多くのショーのためにコロールタンゴの音楽に振り付をしショーを構成しています。
チャカブコ生まれ
1940年5月7日、ブエノスアイレス州チャカブコで生まれました。
彼は8歳から、音楽理論の勉強をHéctor Marseletti(エクトル・マルセレッティ)と始めます。
14歳の時、師匠のオーケストラにバンドネオンの一人として加わります。
1965年から1975年の10年間、彼はチャカブコで自身のトリオを結成し(バンドネオン、ピアノ、コントラバス)、活動していました。
1978年には、巨匠オスバルド・プグリエーセからオーケストラのメンバーとして迎え入れられます。
1984年からオーケストラを去るまで、彼は第一ソロバンドネオンのポジションを保持し、25曲のオーケストラアレンジをし、プグリエーセは自身の楽団レパートリーとして取り入れています。
また、アルバレス自身が作曲した楽曲もプグリエーセ楽団でいくつか採用されています。
そのひとつ「Chacabuqueando チャカブケアンド」は、初演から大成功を収めることになります。
その他に“Maypa”, “Sigo aquí”, “Pilo”, “A Quinquela Martín”, “Contorneando”, “Tango a Pugliese”, なども非常に有名です。
アルバレスは数え切れないほどのツアーをし世界中を飛び回って活動してきました。
アメリカ、日本、中国、ヨーロッパのすべてや中南米全域を回っています。
1989年に現在でも続く「コロールタンゴ」を結成。
自分自身の培ってきた楽曲と、プグリエーセスタイルを編曲に存分に盛り込み、現在まで演奏を続けています。
彼は絶えず断言しています。
“Viví pendiente de la orquesta de Osvaldo durante los once años que estuve en ella y la camiseta de su estilo la seguiré teniendo puesta con Color Tango hasta el fin de mis días”
Roberto Álvarez
「プグリエーセのオーケストラにいた11年間、いつもそのオーケストラのスタイルに注意深く、忠実に生きていた。彼のスタイルのシャツは、私の最期の日までコロール・タンゴが着続ける」
代表曲や主なレパートリー

- 『誰かのためにただここに在る』
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金田式バランス電流伝送DC録音の遺伝子を受け継ぐ音響エンジニア・音楽プロデューサーの服部 洸太郎が運営する『旧・芸術工房Pinocoa』の『Kotaro Studio』が企画運営しています。
青いタンゴ礁では、『アルゼンチンタンゴのすべて』をテーマにタンゴの歴史やマエストロの紹介、またタンゴを作ってきたアルゼンチンの文化や歴史、さらにはインカ帝国時代まで遡って研究しています。
日本とは正反対にあるアルゼンチンですが、親日国としても知られており、近年日本人の移住者が増加している流れもあり、現地での生活情報なども随時発信中!
2021年より完全移住したタンゴピアニストの大長 志野が現地スタッフの日常カテゴリーにてお届けしております。
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