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Chiquilín de Bachin (チキリン・デ・バチン)
1968年作曲:タンゴの異端児:ピアソラの名曲です。
ブエノスアイレスの中心地にある、チキリンというレストランにやってきた貧しい花売り少年のバチンと、その少年の勧めた花を、恥ずかしさから買えずに見過ごした客の紳士の後ろめたさと後悔の気持ちが歌詞となった曲です。

Flor de lino (フロール・デ・リノ)
アルゼンチンタンゴのワルツから一曲。
作曲はHéctor Stamponi(エクトル・スタンポーニ)作詞は、オメロ・エクスポシト。
アルゼンチンの大地に咲く亜麻の花を、自分の愛した彼女に例えながら、その広大な景色と気持ちをうまく交えながら語る歌詞が素敵です。
トロイロの名演奏にてどうぞ。

Recuerdo (レクエルド)
1924年のOsvaldo Pugliese(オスバルド・プグリエーセ)の楽曲。
プグリエーセ楽団の演奏として有名な曲はたくさんあるが、彼自身の作曲で演奏頻度、聞かれる頻度が高い曲は、実は限られており、「Recuerdo」”思い出” は、その中の一つです。
また、本人に限らず、フリオ・デ・カロ、オラシオ・サルガン、アニバル・トロイロなどもレパートリーに選曲していることから、アルゼンチンタンゴの中では重要なレパートリーの一つであると言えます。

Vida mía (ビダ・ミーア)
Vida mia,は(我が人生)と訳されます。
「おおお、私の人生よ」と恋人に語りかける時の表現の一つです。
遠くで暮らす恋人に語りかける歌で、「離れているほどあなたを想います。私の帰りを待っててください!」と歌う。アルゼンチンでも人気の歌の一つです。
Osvaldo Fresedo(オスバルド・フレセド)の作品です。

Buena Vida (ブエナ・ビーダ)
Nicolás Ledesma作曲のブエナビーダです。
素晴らしき人生~現代タンゴの巨匠:Nicolás Ledesmaの人生哲学が詰め込まれた一曲となっています。

Sueño de Tango (スエニョ・デ・タンゴ)
Leopoldo Federico(レオポルド・フェデリコ)(1927年-2014年)とフェデリコオーケストラの専属ピアニストであったニコラス・レデスマ(1965- )の共作タンゴ。
Sueño de tangoは「タンゴの夢」と訳されます。
フェデリコオーケストラでは定番の曲となっていましたが、、ニコラス自身も自身のオーケストラではかなりの頻度で演奏しており、二人にとってはまさに定番の曲となっています。

Naranjo en flor (ナランホ・エン・フロール)
Virgilio Expósito(ビルヒリオ・エクスポシト)「花咲くオレンジの木」と訳されるこの曲。
比喩が多い歌詞としても有名だが、サビの部分の「最初に苦しむことを知らなければならない、その次に愛すること、その次に別れることを知り、そして最後に 何も考えずに歩くことを知る。」というフレーズが印象的。現在では、この曲の歌詞を巡り、新たな解釈が生まれ、その解釈が「実は小さな女の子への性犯罪を意味している歌詞だ」ということで、一時期話題になった。
【あまり知られてない別の解釈】
この曲は、歌手のロベルト・ゴジェネチェに捧げられたとも言われていますが、そのゴジェネチェは歌手と並行してバスの運転手もしていました。そんなある日、彼の運転不注意で小さな少女を死においやってしまいます。その追悼の気持ちを込めて歌っているのではないかとも、言われています。

Danzarín (ダンサリン)
アルゼンチンタンゴ作曲家、アレンジャー、ピアニスト、そしてバンドネオン奏者であったJulián Plaza(フリアン・プラサ)の代表作とも言えるダンサリン。
オスバルト・プグリエーセのオーケストラではバンドネオン奏者として活躍し、その後そのオーケストラから分裂してできたセクステート・タンゴという6重奏では、ピアニストとして活躍するという多彩なフリアンです。
バンドネオンの巨匠:トロイロのカバーがおすすめです!

Fuimos (フイモス)
1945年に発表されたアルゼンチンタンゴ。
Jose Dames(ホセ・ダメス)作曲。
作詞は、名曲の数々を手がけた Homero Manzi (オメロ・マンシ)。
Fuimos “一緒に行った” “一緒に” という意味です。
あの頃二人して色々なことをして、まだまだ色々行きたかったけど、それは叶わないね。
というニュアンスが含まれた歌詞となっています。
ロマンティックで美しいメロディ。
プグリエーセ楽団の演奏でどうぞ。

Nada (ナダ)
1944年のアルゼンチンタンゴで、作詞はHoracio Sanguinetti(オラシオ・サンギネッティ)。アルゼンチンでも愛されてよく歌われます。
歌詞の内容を簡単に言うと・・・
あなたの家にどうやってたどり着いたかわからないけれど、たどり着いた。でも、あなたはここにはもういない。荷物も何もない。誰かがあなたがいないことを私に教えてくれいたらよかったのに・・・
ここはもう雑草地になり荒れ果て、バラの木もなくなって、あなたの面影も、ない。
と「あの頃」失った恋を後悔している歌です。
『アルゼンチンタンゴあるある』
時間の経過を「雑草地になる」ということで表すことがアルゼンチンタンゴの歌詞には多くあり、綺麗だった場所が雑草で覆われる=手入れしていない。人がいなくなって随分時間が経つ。という表現らしいです。
それほど経つまで相手のことを思い続けていたという詩的な表現に対して、「いまになって後悔しても遅いのよ」、というアルゼンチンの気の強い女性の意見があるようです。
ロベルト・フィルポ 【Roberto Firpo】
El amanecer (エル・アマネセール)
アルゼンチンタンゴのピアニスト、作曲家であったロベルト・フィルポからの一曲!
夜中の仕事から家へ帰宅途中の夜が空ける様子を見ながら書いたと言われています。
オーケストラバージョンでは、バイオリンが鳥のさえずりを表現しているのも特徴的です。