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Violin Romantico Del Tango

1912年5月14日 – 1965年5月21日アルフレド・ゴビはバイオリニスト、アルフレド・ゴビ楽団で活躍したアーティストです。

Sur / Aníbal Troilo

1948年の作品。
歌詞の最初に出てくる、San juan y Boedo というのは、サン・フアンとボエドという道路が交わる交差点です。

現在は、そこにEsquina Homero Manzi (エスキーナ・オメロ・マンシ)というタンゲリーア(タンゴショーを食事しながら見れる会場)の一つがあります。

Oblivión / Astor Piazzolla

日本語に訳すと「忘却」。
ピアソラの超人気曲の一つ。
フォギュアスケートでもよく使用されるためどこかで一度は耳にしたことがあるかもしれませんね!

Verano Porteño / Astor Piazzolla

ピアソラの「ブエノスアイレスの四季」の中の一曲。
Verano=夏。
ヴィヴァルディの四季と同プログラムに入れて演奏されることもあります。
アルゼンチンにも四季はあるのですが、日本とは真逆。
ということは・・・この曲の示す夏というのは、12月から2月あたりのちょうどバケーションの時期とも言えます。

Mumuki / Transcripción : Daniel Binelli 

ピアソラのアルバムから聞いてみてください。

Ave Maria (アヴェ・マリア)

こちらもピアソラの名演奏から。

Ave Maria (アヴェ・マリア)

こちらもピアソラの名演奏から。

Melancolico buenos aires

この「メランコリーなブエノスアイレス」は、ピアソラがバイオリニストのエンリケ・フランチーニとその奥さんに捧げた曲です。
原曲に現れるバイオリンの美しいソロがまさしくそれを表現しています。

Chiquilín de Bachin (チキリン・デ・バチン)

1968年作曲:タンゴの異端児:ピアソラの名曲です。
ブエノスアイレスの中心地にある、チキリンというレストランにやってきた貧しい花売り少年のバチンと、その少年の勧めた花を、恥ずかしさから買えずに見過ごした客の紳士の後ろめたさと後悔の気持ちが歌詞となった曲です。

Flor de lino (フロール・デ・リノ)

アルゼンチンタンゴのワルツから一曲。
作曲はHéctor Stamponi(エクトル・スタンポーニ)作詞は、オメロ・エクスポシト。
アルゼンチンの大地に咲く亜麻の花を、自分の愛した彼女に例えながら、その広大な景色と気持ちをうまく交えながら語る歌詞が素敵です。
トロイロの名演奏にてどうぞ。

Festejando

演奏記録が少なく、現在も演奏を聞く機会は滅多にないこの曲。

作曲者本人の演奏よりも、雰囲気を全く変えて演奏しているオスバルド・プグリエーセ楽団のものが有名となり、そのバージョンは現在のタンゴ楽団「コロール・タンゴ」でも演奏されています。

コロールタンゴのリーダーといえばロベルト・アルバレスですが、ロベルトアルバレスはプグリエーセ楽団でバンドネオンを務めていたことでも有名です。

Delirio (デリリオ)

バイオリン奏者であり、作曲家でもあるEnrique Francini(エンリケ・フランチーニ)の作品。

Delirioは「熱狂」「熱く」という意味があります。
原曲はバイオリン(弦パート)の優雅な旋律も印象的です。

Recuerdo (レクエルド)

1924年のOsvaldo Pugliese(オスバルド・プグリエーセ)の楽曲。

プグリエーセ楽団の演奏として有名な曲はたくさんあるが、彼自身の作曲で演奏頻度、聞かれる頻度が高い曲は、実は限られており、「Recuerdo」”思い出” は、その中の一つです。

また、本人に限らず、フリオ・デ・カロ、オラシオ・サルガン、アニバル・トロイロなどもレパートリーに選曲していることから、アルゼンチンタンゴの中では重要なレパートリーの一つであると言えます。

Vida mía (ビダ・ミーア)

Vida mia,は(我が人生)と訳されます。
「おおお、私の人生よ」と恋人に語りかける時の表現の一つです。
遠くで暮らす恋人に語りかける歌で、「離れているほどあなたを想います。私の帰りを待っててください!」と歌う。アルゼンチンでも人気の歌の一つです。

Osvaldo Fresedo(オスバルド・フレセド)の作品です。

Galleguita (ガジェギータ)

Horacio Pettorossi(オラシオ・ペットロッシ)(1896-1960)の作品。

スペインのガルシア地方に住む人々のことを「ガジェゴ」と呼ぶそうですが、アルゼンチンの人々は、スペインからの移民を全てひっくるめて「ガジェゴ」と呼ぶそうです。

タイトルの「ガジェギータ」はその女性形で「スペイン娘」という意味ですが、曲の印象から、スペイン娘は、静かに見えて、感情の高ぶりがすごく情熱的という印象があるように感じましたがみなさんはいかがでしょうか?

El día que me quieras (エル・ディア・ケ・メ・キエラス)

歌手として大人気・大活躍したカルロス・ガルデルの作曲のこの曲、日本語訳では「想いの届く日」として有名なアルゼンチンタンゴの一曲です。

タンゴでは珍しく、自分の想いが届いてハッピーな内容かと思いきや、「想いが届く日」を思って歌っているので、実際まだかなっていない、届いた日はどんなに素敵だろう!という歌詞です。

キラキラと素敵な内容を歌った曲として、多くの人に愛されています。

ニコラスレデスマ楽団の演奏からどうぞ。

Buena Vida (ブエナ・ビーダ)

Nicolás Ledesma作曲のブエナビーダです。

素晴らしき人生~現代タンゴの巨匠:Nicolás Ledesmaの人生哲学が詰め込まれた一曲となっています。

Sueño de Tango (スエニョ・デ・タンゴ)

Leopoldo Federico(レオポルド・フェデリコ)(1927年-2014年)とフェデリコオーケストラの専属ピアニストであったニコラス・レデスマ(1965- )の共作タンゴ。

Sueño de tangoは「タンゴの夢」と訳されます。
フェデリコオーケストラでは定番の曲となっていましたが、、ニコラス自身も自身のオーケストラではかなりの頻度で演奏しており、二人にとってはまさに定番の曲となっています。

Julio De Caro / El monito (エル・モニート)

彼女は僕の事を「お猿ちゃん」と呼んでいた。
あの愛しい彼女、あの頃は、「私があなたと生きるなら、私の痛みはあたなが全て癒してくれる」と歌っていたのに、もうそんな彼女はここにいない。

今は僕が彼女を探しているけれど、もう戻ってこない・・・。
と、後になって男性があの時彼女をもっと大切にするんだった・・・
と悔やんでいるタンゴあるあるの歌詞が付いている曲です。

Meridional (メリディオナル) 

バンドネオン巨匠、Victor Lavallen(ヴィクトル・ラバジェン)のメリディオナル。

「南」「南部の」というような意味があります。

アルゼンチンタンゴの中には、「南」を用いた題名が多く見られますが、本曲もそんな南に関連する曲の一つ。

元々オーケストラ用に書かれたこの曲ですが、今回は、世界初となるピアノソロアレンジでお届けします。

Naranjo en flor (ナランホ・エン・フロール)

Virgilio Expósito(ビルヒリオ・エクスポシト)「花咲くオレンジの木」と訳されるこの曲。

比喩が多い歌詞としても有名だが、サビの部分の「最初に苦しむことを知らなければならない、その次に愛すること、その次に別れることを知り、そして最後に 何も考えずに歩くことを知る。」というフレーズが印象的。現在では、この曲の歌詞を巡り、新たな解釈が生まれ、その解釈が「実は小さな女の子への性犯罪を意味している歌詞だ」ということで、一時期話題になった。

【あまり知られてない別の解釈】
この曲は、歌手のロベルト・ゴジェネチェに捧げられたとも言われていますが、そのゴジェネチェは歌手と並行してバスの運転手もしていました。そんなある日、彼の運転不注意で小さな少女を死においやってしまいます。その追悼の気持ちを込めて歌っているのではないかとも、言われています。

Danzarín (ダンサリン)

アルゼンチンタンゴ作曲家、アレンジャー、ピアニスト、そしてバンドネオン奏者であったJulián Plaza(フリアン・プラサ)の代表作とも言えるダンサリン。

オスバルト・プグリエーセのオーケストラではバンドネオン奏者として活躍し、その後そのオーケストラから分裂してできたセクステート・タンゴという6重奏では、ピアニストとして活躍するという多彩なフリアンです。

バンドネオンの巨匠:トロイロのカバーがおすすめです!

Juan Carlos Cobiánの作品

ファン・カルロス・コビアン(Juan Carlos Cobián、1896年5月31日(ブエノスアイレス州のピグエ(Pigüe)生まれ) – 1953年12月10日)。

タンゴ界では成功を納めたピアニストの一人として有名で、バイア・ブランカに親と住んいましたが、その家の場所に2つの記念碑が建てられています。

Mal de amores (マル・デ・アモーレス)

作曲者:Pedro Laurenz(ペドロ・ラウレンス)は1902年10月10日に生まれで1972年7月7日になくなった、アルゼンチンの偉大なバンドネオン奏者の一人です。

フリオ・デ・カロのオーケストラでもう一人の偉大なバンドネオン奏者ペドロ・マフィアとタッグを組んで「二人のペドロ」と愛され、大活躍しました!

ヌエボキンテートレアアルの演奏が最高におすすめです!

Fuimos (フイモス)

1945年に発表されたアルゼンチンタンゴ。

Jose Dames(ホセ・ダメス)作曲。

作詞は、名曲の数々を手がけた Homero Manzi (オメロ・マンシ)。

Fuimos “一緒に行った” “一緒に” という意味です。

あの頃二人して色々なことをして、まだまだ色々行きたかったけど、それは叶わないね。

というニュアンスが含まれた歌詞となっています。
ロマンティックで美しいメロディ。
プグリエーセ楽団の演奏でどうぞ。

Nada (ナダ)

1944年のアルゼンチンタンゴで、作詞はHoracio Sanguinetti(オラシオ・サンギネッティ)。アルゼンチンでも愛されてよく歌われます。
歌詞の内容を簡単に言うと・・・
あなたの家にどうやってたどり着いたかわからないけれど、たどり着いた。でも、あなたはここにはもういない。荷物も何もない。誰かがあなたがいないことを私に教えてくれいたらよかったのに・・・
ここはもう雑草地になり荒れ果て、バラの木もなくなって、あなたの面影も、ない。
と「あの頃」失った恋を後悔している歌です。

『アルゼンチンタンゴあるある』
時間の経過を「雑草地になる」ということで表すことがアルゼンチンタンゴの歌詞には多くあり、綺麗だった場所が雑草で覆われる=手入れしていない。人がいなくなって随分時間が経つ。という表現らしいです。
それほど経つまで相手のことを思い続けていたという詩的な表現に対して、「いまになって後悔しても遅いのよ」、というアルゼンチンの気の強い女性の意見があるようです。

Chiqué (チケ)

ブエノスアイレス生まれのバンドネオン奏者、指揮者、作曲家、作詞家の Ricardo Brignolo(リカルド・ブリグノロ(1892-1954))の作品の一つ。
この曲が一番有名かもしれません!
トロイロ楽団やプグリエーゼ楽団の演奏が有名です。
一般的にコンサートの曲紹介の際は、「〇〇さん作曲の〜」という紹介が多いですが、この曲の場合、「次はチケです!」と、曲名しか言っていないケースが多いような気がします・・・
ですのでこの機会に是非リカルド・ブリグノロを覚えておきましょう!

ニコラス・レデスマの演奏でどうぞ!

El pollo Ricardo (エル・ポーショ・リカルド)

ウルグアイの作曲家:Luis Alberto Fernández(ルイス・アルベルト・フェルナンデス)の作品です。

同じくウルグアイ人のタンゴを踊っていたリカルド・スカンドログリオと仲良くなり、リカルドのことを『mi pollo』私の鶏(親しさを込めた表現で)呼んでおり、この題名がつきました。

二人の仲良さが伝わってくる軽快で楽しい曲です。

様々なアーティストや楽団でカバーされている有名な曲ですが、今回はやはりトロイロ楽団で聴いていただきましょう。

ロベルト・フィルポ 【Roberto Firpo】

El amanecer (エル・アマネセール)

Youtubeで視聴(ピアノソロバージョン)

Youtubeで視聴(タンゴバンドバージョン)

アルゼンチンタンゴのピアニスト、作曲家であったロベルト・フィルポからの一曲!
夜中の仕事から家へ帰宅途中の夜が空ける様子を見ながら書いたと言われています。
オーケストラバージョンでは、バイオリンが鳥のさえずりを表現しているのも特徴的です。